卯月のチャリンコ上洛旅 ~前編 宇治の浄土と、巨大トラス橋~
どうも、やっと資格講座と秋学期講座が終了した既望路です
今日は正月以来のまともな休日ということで、久々の更新へと参りたいと思います
無事に資格も取得でき、官報にも番号が載ったらしいのですが、実際技能が身についた感じは一切ないのが資格
(そもそも知識を問う資格ですからね)
果たして、経営評価やシステム開発に関する知識がこの先役に立つかはさておき、晴れてより半分くらいは開放されたものです
ええ、バ畜さんがどんしゃか入っているんですけれどね…
(月20日入って7万も無いのは寂しい)
今月はあと3日しか休みがないので、ブログの更新の方はあまり期待はできませんが、その分ササッと行きたいと思います
今回は桜も散り、いよいよ河川敷に黄色い絨毯が敷かれようとしている4月半ばのお話です
Q:いつの4月?
A:2015年だよ(開き直り)
4年ですって
時間の流れはおっかないや
心は高校生で止まっているのに、身体は順々とおっさん化しています
さて、今回は4月の半ばに友人氏と自転車でぶらぶらしたお話です。
え?ああ、18きっぷ最後の一回はどうなったのかって?
そ の う ち 出 し ま す (多分)
では、どうぞ
登って下って流されて
朝6時
私と223系好きは自転車で第二京阪沿いをせっせと登っています
車の方は平坦な一本道なのに、側道は交差点の関係でアップダウンの激しい道路とかしてます
あっちの方(第二京阪)通りたいなぁと思いながら、うんともすんとも言わないペダルを力いっぱい踏みつけます
そう、登りがキツイ分、帰りが楽になる
そんな願いを込めて、この坂道を「のぞみロード」と呼んでいました
望みが溢れる名前ですね
時折やってくる平坦な道
急坂からの平坦な道で、思わず二人共にこにこ笑顔に
ということで「にこロード」と名付けました
大きな上り下りには「のぞみ」を乗せ、まっ平らな地平線には「にこにこ」を浮かべる
他意はないです
もうサンシャインも映画化だよ、早いね
(いつ観に行こうか)
北陸新幹線が通る予定なんて一ミリも知らない頃の松井山手を通り過ぎ、いよいよ京都府入り
途中、木津川を渡るのですが、せっかくなので少し迂回して渡ることにします
それがここ、流れ橋です!
ほんまに流れとるやんけ
2014年9月の台風11号で流されてしまったそうで
14年の台風11号は、関西圏では殆どの鉄道が運転見合わせになった台風でした
(計画運休が登場するのは14年の10月からです)
まあ、ここは京阪クオリティですよ
(遅延は多いけど)
この上津屋橋(通称:流れ橋)は、八幡市と久御山町の間に流れる木津川に架かった橋で、元から増水時には流れることを前提とした橋になっています。
今では流れない橋が主流ですが、かつてはこういった流れるタイプの橋がほとんどで、今もこの京都の上津屋橋を始め、いくつかの橋が流れ橋の形態を取っています。
この翌年の2016年の春に復旧しました
(菜の花か西洋芥子菜か)
まあ、それも2017年の台風21号でまた流されたわけですが(
(南海線の橋がやられる程の台風だったので仕方がない)
記念写真
この頃の自転車はまだタイヤの表面がまだ残っていますね
(今は完全にすり減ってなくなっています)
記念写真
おバカが増えました
第二京阪沿いに戻って、再び上洛です
橋脚だけがポツポツ立ってます
お茶と極楽とパルパル
久御山町に突入し、そこから今度は東方面に寄り道
お茶の産地、宇治市に突入です
4年経った今でも走ってるのが不思議です
この川を下ればいずれ淀川になります
(こちらの記事の最後の方で少し触れましたね)
記念撮影(
宇治のシンボルの一つ、宇治橋です
滋賀県の瀬田の唐橋、京都にあった山崎橋*1に並ぶ日本三古橋の一つです
なんてことを以前にも言った気がします
(この埋め込みリンクで任意の場所に飛ばせないかなぁと一時間ぐらい画策してた。結局下のURLしか叶わず)
架設は大化2年、大化の改新だとか聖徳太子だとかあの辺りに架けられたとされています
歴史あるがゆえに、源氏物語や古今和歌集、橋姫伝説など多くの物語に登場します
一旦自転車を止めて、徒歩で散策
「宇治」といえば最初に思いつくのは「宇治茶」ではないでしょうか
宇治茶は静岡茶、狭山茶に並ぶ日本三大茶の一つで、ここ宇治がその宇治茶の発祥地とされています
現在の宇治茶は、この宇治を始め、京都・奈良・滋賀・三重などで摘まれたお茶を宇治流の製法で仕上げたものを指すそうで
臨済宗の開祖である栄西が、中国から薬の一つとして持ち帰ったのがお茶なわけですが、このお茶が京都栂尾を経て、栽培されたのがここ宇治です。
(なぜお茶が薬なのか気になる方は、前に講義で作ったレジュメをご覧あれ)(露骨な再利用)
室町時代には、宇治のお茶は「闘茶」*2等の遊興に使われるようになるのですが、これらを一新し、お茶を求道の目的として使用するよう、そして宇治茶そのものの地位の向上に努めたのが千利休です。
まあ、その後豊臣秀吉に千利休が抜粋され、宇治茶は千利休と共に大層気に入られ、宇治茶は天下一のお茶と称されるほどになりました。
千利休と共に宇治茶の地位向上に努めた上林家は、安土桃山・江戸時代の間もずっと宇治茶の栽培をもって勢力を伸ばし、現在も綾鷹で有名な上林春松本店や、伊右衛門茶で有名な伊藤園がその後を継いでいます。
さて、戻りましょう
やってきた先は平等院
藤のシーズンで、綺麗に咲き誇っていました
(今見ればなんじゃこの色と思うような彩度)
藤の花は藤原氏の家紋にも描かれており、藤原氏ゆかりの寺院ではよく見られるそうで
そしてこちらが平等院鳳凰堂
この世をばフルムーンで有名な藤原道長の別荘を、子の藤原頼通が寺院に改めたのが始まりとされています。
極楽浄土という亡くなったあの人とも再開できる夢の場所をこの世に再現したのが、この平等院鳳凰堂と言われています
『観無量寿経』というお経に書かれた極楽浄土の様子を再現しており、鳳凰堂の中には西方極楽浄土の主である阿弥陀仏が鎮座しています。
(この場所からでも見えたりします)
まあ、そんな頼通さんが作った現世の極楽浄土なわけですが…
一般的にはこっちのほうが有名ですね
平等院鳳凰堂は世界遺産にも登録されており、2012年から2014年にかけては修復工事も行われました
その時の記念ヘッドマークです
まあ、そんな10円玉で馴染み深い平等院鳳凰堂ですが…
皆さんはこっちのほうが大好きですよね( ( (
諭吉さんの紙幣を裏返せば、そこには瑞鳥である鳳凰が描かれています…
中国神話に登場する幻の鳥で、鶏やら燕やら蛇やらが色々合体しています
龍然り麒麟然り、中国神話にはキメラがたくさん登場します
縁起のいい鳥なので、海軍の空母系の艦船にはよく鳳凰の名が付けられました
いつもの記念撮影
ツツジの見頃でもありますね
平等院の博物館である鳳翔館でリアル鳳凰像や雲中供養菩薩像などを見学し、平等院を後にしました
こちらは橋姫神社
元は上流にて祀られていた瀬織津姫(水神・川神)を祀ったのが始まりだとか
まあ、この瀬織津姫は天照大神の荒魂(暴走モード)と一緒ともされていたり色々ありますが、ここでは橋を守る神である橋姫と同一視されています
橋姫とは誰?
こんな感じの娘と思っていただければおおかた正解かと(
藁人形にゴッスンゴッスン五寸釘の丑の刻参りの格好に酷似していますが、彼女がその元です
東方地霊殿の彼女もまた橋姫です
橋姫に関しては以前コチラで触れていますので、割愛させていただきますね
(探すのが面倒な方は埋め込みの下のちっこいURLで直接どうぞ)
討伐以来、橋姫はこの宇治橋を守る神様として祀られています
そしてこの神社のご利益は「縁切り」
恐るべし呪いパワー
最近話題の彼女ですね(違
彼女が書いた源氏物語は全54巻から成るストーリーですが、この内ラスト10巻*3が宇治を舞台にした物語になっているそうで
(生憎源氏物語には疎いので詳しくはWikiさんに聞いて下さいな)
奈良電鉄の意地と誇り
宇治から再び自転車を転がし、再び北上
やっと京都市入りです
府道24号線を通り、宇治川を超えるところですが、ここでまた寄り道
寄り道が気軽にできるのが自転車の利点ですかね
それがこちら
ドドンと大きく構えたトラス橋
近鉄電車がゴゴンゴゴンと通っていきます
名前は「澱川橋梁」
ええ、生で見ると結構でかいです
それもそのはず、橋脚を用いないトラス橋では日本一の長さを誇る橋です
普通、長い距離をトラス橋で結ぶならこんな感じで間に橋脚を設けます
ですが、近鉄京都線の前身である奈良電鉄にはそれができない理由がありました…
それが対岸(北側)にあった陸軍第十六師団です
当時、この北には十六師団の司令部があり、この淀川はその十六師団の渡河訓練場になっていました
十六師団はこちらでも少し触れましたね(止まない誘導)
元は木津川橋梁と同じようなガーター橋(さっきのJR奈良線の橋のような感じ)*4で通すつもりでしたが、陸軍さんから訓練に支障が出るので橋脚は設けないで頂きたいとのお達しが
迂回するか? それとも陸軍を説得するか…?
しかし、奈良電鉄にはそのどちらも行えない事情がありました
それが「時間」との闘いです
奈良電鉄が頑張って奈良から京都に向けて線路を建設していたその時期は、ちょうど昭和天皇が即位する時期でもありました。
この即位大典は日本中の注目を集める一大イベントで、それに伴い皇室への関心も集まります
勿論、そうなれば天皇を祀る神社や、御陵へ国民がドワっと集うわけです
そう、例えば明治天皇の御陵である「桃山御陵」、そして初代天皇を祀る「橿原神宮」などもそうです
「桃山御陵」は丁度奈良電鉄が目指す京都の道中に、そして「橿原神宮」は直通先の大軌畝傍線(現:近鉄橿原線)の沿線にあります
そう、奈良電鉄にとってこの千載一遇のチャンスは逃すわけにはいかなかったわけです
「何が何でも大典までに開通させねばならない」
そんな強い意志を胸に、奈良電鉄は無茶苦茶急いで工事に取り掛かっていました
どれぐらい急いでいたかといえばそう、
例え馬鹿みたいな高コストな、前代未聞の巨大トラス橋を架けてでも間に合わせるほどには急いでいました
そうと決まれば早速アメリカから鋼材を輸入*5、川崎造船所でパーツだけ作って組み立ては現地で決行、更に試験荷重を行う暇も無かったために防御力マシマシで建設という工程を2つ3つすっ飛ばしたような破天荒なスケジュールで強行
当時のプロフェッショナル達が、当時最先端の技術を集め、素早く、そして慎重に工事を突貫で行い、大典の1ヶ月前になんとか完成
長期的な使用を見込み、当時34tの列車がせいぜい1~2両しか走らない予定の橋梁を、60tクラスの列車が6連で通っても耐えれるぐらいにまで引き上げられています
現在でも40tクラスの列車が6連でガッタンゴットン走っていますが、ビクともしません
そんな技術の粋を集めたトラス橋は、有形文化財にも登録されています
近鉄電車では勿論ですが、京阪線からでもちらっと見えたりします
京阪本線なら中書島から東の方を見れば、宇治線なら観月橋の手前右手に大きく構えている姿が見えるでしょう
ここで戻るのもなんですが、奈良電鉄線は大典終了までに西大寺~桃山御陵を暫定開業させ、何とか間に合わせました
(その数日後に京都駅まで開通)
さて、再び24号線を北上していきます
(理由はちゃんとあるんですよね)
このNS411編成も昨年廃車となりました
一眼購入後に訪れることとなるストレートもこの時に発見しました
(既に有名な場所だったらしいですが)
ビジュアル的には埋め込みリンクのほうが見栄えがいいんですけれど、リンクとしては下のちっこいURLの方が有能
まあ、下の方をポチッと押していただければ幸いです
伏見稲荷で一枚
車体だけならかなり古い部類(50年以上経ってる)ですが、未だ消える気配なく
伏見稲荷大社にもご挨拶
今気づきましたが、丁度稲荷祭の神幸祭がこの日に行われていたんですね
年に一度、稲荷大神が氏子圏を周回する日です。
お神輿ワッショイワッショイなあの日です
毎年4月20日に一番近い日曜日に行われています
(元は卯月第二午の日でしたが、これも時代の流れですね)
ここのお神輿は人が担ぐのではなく、トラックに乗せてブーンと圏内を巡回するので中々面白い
(これも時代の流れですかね)
講義でビデオを見ましたが、八条通辺りを通過している時に背景に写った300系新幹線が印象的でしたね
さて、昨日の19時に編集を始め、気がつけばもう4時じゃありませんか
どこに時間がかかっているのか中々不思議なものですが、今回はここまでとさせていただきましょう
次回はもう消化試合のようなものなのでご安心を(
できれば今月中がいいですねぇ
では、以上!