既望月を旅路の友として

ブログという名の備忘録(URL整理中…)

桜芽吹く安芸遠征 ~02 広浜連絡の夢の跡、斎く島の大鳥居~

どうも、回復ドライブ作るためにHDD外したら、フォルダのサムネがリセットされた既望路です

 

カメラで撮影した写真は日付ごとにフォルダに格納しているのですが、まあこれだけ数あると探すのも厄介なもの

普段は名前とは別に、フォルダ画像のカスタマイズで何の日の写真か人目でわかるように設定したのですが…

それがリセットされちゃいました()

座席の写真とか見切れた駅名標とかまず分からん(

(稀に生き残ってるフォルダもある)

まあ、引っこ抜かずともキャッシュのクリアとかでもあっさり消えちゃうので、何とかならんかなぁと思う日々

 

時間があるときにまたせっせこ直さなきゃですね

(そしてさり気ない次回予告)

 

 

というわけで本題へ入りましょう

 

hesitant-moon.hatenablog.com

前回は18切符で福山、呉の観光を挟みながら広島まで行ったお話

盛大に暴れまわり見事8,858字*1まで行ったので、今回はストイックに行きましょう

では、どうぞ

 

2018年3月24日

7:40 広島

ぐっとモーニング末期

あれほど黄色だった広島の光景も、今ではすっかり過去のもの

なおP08編成は今も岡山で元気にやっている模様

 

 

朝日差し込む街の中、今日は黄色い電車に揺られ太田川沿いを北上

そう、西日本最混雑路線可部線です

 

上八木を過ぎ、太田川とクロス

これを遡れば三段峡

 

可部駅をすぎると線路が途端に綺麗に

異例の蘇り区間、可部~あき亀山です

 

8:30 あき亀山

終点のあき亀山に到着

線路がピカピカなら駅もピカピカ

 

電車は…はい

 

 

可部線のルーツは、大日本軌道が開業させた横川~可部の路線*2

その後、広島電気*3に合併された後に全線が電化され*4広浜鉄道*5*6への譲渡を経て、国鉄に吸収

 

浜田側からもせっせと作っていましたが、戦局の悪化等で潰え、最終的には可部~三段峡が非電化で開通したに留まりました

 

その後も業績振るわず非電化区間は2003年に廃止となりましたが、「いやいや、河戸~可部は乗ってたやろ*7ということで2017年に幾度の延期を経ながらも復活となりました

 

可部~河戸の復活ですが、今ある あき亀山駅は、元河戸の駅より更に400mほど西(先)

かつての河戸駅は跡形もなく消えていますが、待合室だけあき亀山近くの神社に移築されています

 

中もそのまんま、ですかね

 

さてさて、ここまで行けたならもう一声っ!

ってところですが、河戸から先は見事に渓谷

なんなら何故可部~河戸を廃止にしたんだってレベル

 

廃止区間で眠る静態保存車も気になるところですが、ここでUターン

可部線の起点駅、横川へ到着

ここから昨日もお世話になった広島に強いガイドさんことフォロワーさんと合流し、山陽線を西へ

 

西広島からは広電に乗り換えて、宮島線

広電唯一の鉄道線で、路面電車バラスト敷きの専用線をかっ飛ばす様が見てて楽しい

 

10:10 宮島口

宮島口からは丸らうなな号に乗り込み、宮島を目指します

 

朝食おやつのもみじ饅頭を齧りながら、瀬戸内を渡る

 

牡蠣の養殖でしょうか

牡蠣食いに広島に行くのも良いかもですね…

 

さて、宮島が見えてまいりました(ど逆光)

さて、上陸です

結構観光地感あった

 

ヘイお待ち、厳島神社の大鳥居

日本三大鳥居の一つにも数えられる、ツヨい鳥居です

 

ちなみに残り2つは、春日大社一之鳥居と氣比神宮大鳥居

土台の上に60tの自重だけで立っているというスケールのデカい鳥居ですが、近年の観光客による小銭攻めのせいか現在は修復中とのことです()

 

といわけでいざ厳島神社

 

ここ厳島神社飛鳥時代からあったと言われ、平安後期には平清盛による寄進を受け現在に繋がる荘厳な社殿が建てられました

(2度火災に遭っており、現社殿は鎌倉時代創建のものだそうで)*8

 

御祭神は宗像三女神こと、イチキシマヒメ、タゴリヒメ、タギツヒメの3柱

この3柱はスサノオとアマテラスの誓約*9から産まれた女神で、玄界灘の守護*10、ひいては航海の安全や交通安全を司る神様です*11

 

この厳島神社の特徴は何と言っても、海の上に建っているということ

島全体が神域であるため、社殿はその神域を避けて海上に建てたと言われています*12

まあ、その神域に砲台やら水族館やらが建っているんですけれどね

 

それでも、厳島の名前自体が「いつく(神に仕える)島」に由来しているので、何かしらの神秘的な島だったのは確かなことでしょう

(一方で厳島の由来が主祭神のイチキシマ(斎き島)ヒメに由来するとも言われていますが、イチキシマヒメの由来もまた斎く島なので、根っこは同じということでしょう)*13

 

沙羅双樹の花の色が表すが如し平氏が没落し、源氏の時代になっても厳島神社の信仰は続きます

戦国の世に突入すると一度は廃れてしまいますが、毛利元就厳島の戦いでこの辺りを配下に治めると、再び隆盛を取り戻します

豊臣秀吉もシレッと千畳閣を寄進し、江戸期には厳島詣も盛んになるなど民衆からの信仰も集めました

 

こちらは、江戸期に寄進された能舞台

厳島神社はその立地から度々水害に遭っていますが、重大な被害を被るのは決まって後世に増築されたものとか

ちなみにこいつは1991年の台風でぺっしゃんこになってます

 

そんな威厳たっぷりの厳島神社は、とにかく荘厳で平家の隆盛を偲ばせてくれます

どこまでも続く朱塗りの柱に荘厳な飾りつけは一見の価値ありです

 

こちらは神の遣いとされる神鹿のぷりてぃなお尻

 

今日も元気にピストン運用に励む丸マヂヤミ

営業利益万年赤字でもぅ無理。。減便しょ。。

 

あちらにいるのはキリッとしたサギさん

コサギでしょうか

 

おっいぃねぇ~キミィ~

 

センスあるよぉ~

 

もういっちょいってみよっか~

 

これがプロの仕事だと言わんばかりの芸当を見せてくれた観光地のコサギニキ

その後姿には不思議と貫禄をも覚えました

 

厳島神社だけじゃない厳島

これが意外と広い

 

朱が眩しい五重塔

五重塔といえば各層が五大思想*14に繋がる仏教的な建築物ですが、これが神社の施設として組み込まれている辺り、神仏習合*15の名残を感じます

(元々は厳島神社別当*16である大聖院の建物でしたが、廃仏毀釈時に破却を免れるためか厳島神社の傘下に移されたとか)

 

このような仏教的正確を帯びた建築物が数多くん残るのも、厳島神社の特徴ではないでしょうか

 

土産屋街を歩き見つけた「揚げもみじ」

ご覧の通り、もみじ饅頭を揚げたものですがこれがまた美味い

感覚としては中華料理屋の胡麻団子に親しいものを感じます

 

 

一通りの散策を終え、再び本土行きのフェリーへ

(お寺とかはまた次回っ…)

 

赤鳥居の写真ですが、突如降臨した降り龍と対峙していたため撮れずじまいでした(

(スト○パは本格的に来る前に飲め)

 

13:40 商工センター入口

続いてやって来たのは、商工センター入口の横にある車庫

許可さえ頂ければじっくり舐め回すように車両が見れるという懐の深い車庫

 

出迎えてくれたのは見たこと無い方向幕を掲げた見たことのない車両(3100系)

ほへぇ…朝ラッシュ時のみで広島駅には乗り入れないのね…

 

ググってみるとそれはまあイカれた車両で、元々2両編成だったものを頭ぶった切って

3両編成に魔改造したとか

それだけなら西鉄のお古(2連)を3連に改造した3000系という前例もいますが、それだけじゃない3100系

3000系の中間車のときは丁度台車と車体がくっついている部分で切って、両端に運転台付きの車両を繋げるだけのお仕事でしたが、3100系の中間車は扉が引き戸な関係上、台車が結構車体中央寄りでした

このまま台車部分で切れば異様に短い車両になってしまうということで、広電の匠は考えた

「台車の位置が不都合を産むなら、台車を動かせばいいじゃないっ!!」

そんな車両の要と言っても過言ではない場所を改造でやってのける、そこにシビれる憧れるっ!!

 

幕以上に変態な車両でした

 

 

こちらに眠っているのは万年ニート2000系

1960年の登場で長らく市内を駆けていましたが、PASPY導入に伴い駆逐されたそうで(

 

お前…*17

 

ぐりーんらいなー

受け継がれるデザインっていいですよね

 

3100系の第3編成と、ビールので産まれた電車5000系

日本のビールに課せられた異様に高い酒税率が気に食わなかったのか結構故障が多い模様*18

半数以上が休車、こいつも部品取り車として余生を過ごしています

 

そんな貴重な車両を色々見た後は、再び広電に揺られ市内へ

そういえば修学旅行以来行っていない原爆ドーム

 

15:00 紙屋町

エディオンのお膝元、広島

しかし登記上の本店があるのみで本社は大阪

 

昼か夜かよく分からん時間ですが、ここでご飯を頂きます

頂いたのは勿論hお好み焼

 

店を出ると、元京都市電がいました

丸みを帯びたデザインが可愛らしい…

そしてカメラの設定がお好み焼きのまま

 

カープ選手のトークショー(両方新入団選手だそうで)

結構な賑わい、流石カープ

17:20 広島駅

さ て

当時でも貴重となっていたミクルカフェ車に乗り込み、気合で帰阪します

 

もみじ饅頭のバラ売りは道中のおやつにはピッタリ

 

18:40 三原

三原から姫路行きに乗り換え

広島から乗り換え1回で姫路まで行ける当時は中々強かった

そしてとうとう一回も227に乗れなかった(

 

もみじ饅頭も捨てがたいですが、これも結構好き

 

やっと帰ってこれた

 

こちらは戦利品

てつくじで買った萌えキャラクリアファイル他(

このかがさんのケースがカッコいいのよね…

 

 

そんなこんなで終了しました、広島春遠征編

 

そ し て

やーーーーーーーっっっと終わりました、春遠征

1ヶ月分書くのに9ヶ月かかってるとかどういうこっちゃ

このペースで行くと2022年8月に追いつくのは39年と9ヶ月後ですね!!!

 

追いつくが先か、ブログ文化が完全に廃れるが先か

 

次回からはしばらく、細々とした圧縮編が続くかと思われます

今度こそ、肩の力を抜いてご覧いただけるかと思われます(

最後の方に引用と、Wiki以外の参考・裏取り資料も(ざっくり)載せていますが、これにて終了です

 

次回も楽しみにして頂ければ幸いです

では、以上

 

 

 

以下カンペ

引用

・『広島電気沿革史 : 広島電気沿革史姉妹篇感想録共』、広島電気株式会社編、昭和9年、広島電気、頁271-272。(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1235909)

参考

幻の広浜鉄道今福線|浜田市

・『萌える!日本神話の女神事典』、TEAS事務所著、2014年、ホビージャパン

過去の災害ふまえ警戒 引用して呼びかけ 広島気象台:朝日新聞デジタル

JR西日本宮島フェリー株式会社 第12期決算公告 | 官報決算データベース

酒税に関する資料 : 財務省

*1:参考元URL足すと11,196

*2:ほどなくして分社化により可部軌道へ

*3:県内初の電力会社広島電灯と、広島呉電力が合併してできた電力会社

*4:安定した電力供給先としてか

*5:広島電気100%出資で名前の通り広島と浜田を予定してしていた?

*6:ただ、『広島電営気沿革史』には、「【廣濱鐵道株式會社】当社は昭和六年七月資本金三百万円を以て設立せられ、従来廣島電氣株式會社にて経営せし広島市三条町字横川を起駅とし、安佐郡可部町に至る十三・七kmの鉄道に依る運輸事業を受けたるもの (中略) 本年鉄道省に於て着手せる廣濱鐵道(安佐郡可部町を起駅とし島根県那賀郡浜田町に至る陰陽連絡線)工事竣成の暁は、地方人士の往来とともに物資の集散頻繁となり、沿線の発展期して俟つべく、従て当社業績の好転又疑いなき所にして、その将来は洵に洋々たるものあり。」とその実は、「国鉄が線路結んでくれたら後は順風満帆やわ(鼻ホジ)」というスタイル(

*7:広島から割と近いということで昭和30-40年代頃から河戸周辺にも住宅や団地が増えてた

*8:本殿に関しては更に後期に建て替えを食らってますが

*9:アマテラス(姉)のもとに挨拶に来たスサノオ(弟)。しかし姉は弟の日頃の行いから、侵略目的でやってきたに違いないと疑心暗鬼に思う。その疑いを晴らすために行ったのが誓約(ウケイ)という儀式で、互いの持ち物を噛み砕いて神が産まれれば、身の潔白が証明できる。スサノオの持ち物から宗像三女神が産まれたので、潔白が証明された

*10:元々は玄界灘周辺の民族が信仰する神でしたが、朝廷の遣隋使のやり取りにおいて玄界灘が重要な場所を占めることから、土着の神である3柱が記紀神話に組み込まれることとなりました

*11:更には仏教の文殊菩薩と習合して、学芸の守護神としての性格も帯びるようになりました

*12:誰によって?

*13:イチキシマヒメ沖ノ島の神格化とも言われているので、この場合の島が指しているのは沖ノ島になってしまうわけですが

*14:宇宙は地・水・火・風・空の5つの要素からなるという仏教的な思想

*15:神道と仏教が区別しない考え方で、今の神仏分離思想は明治初頭の政策によるもの

*16:神社を管轄するお寺

*17:登場時は単行、74年に連接車へ改造

*18:税率改正でビールの税率が下がりますが、それでも日本酒やチューハイ系よりかは高い模様