夏の南海ぶらり旅 前編 ~阪南を走る私鉄たちと、和歌山2大ターミナルの変遷~
どうも、気がついたらツクツクボウシが鳴き始め、それすらあまり見かけなくなってしまった既望路です
もう夏も終わっちゃうんですね…
(寒いの無理な人)
最近は色々と忙しく、土日は旅行計画立ててるか、実行しているかのどちらかでしたね…
そのため、更新はおろか、新着記事の閲覧すらできていない状態です…
(決してどこかで息絶えていたわけではないのでご安心を…)
この二ヶ月弱、振り返ればそれだけで記事がいくつもできそうなほどあるので、今回は近況報告は無しといことで…(
スピードが大事なのですよ
まあ、スピード感とか言っていながら、脱線かます気満々なんですけれどね(
今回はぶらり日帰り旅行のお話です
では、どうぞ
2017年8月21日
南海で始まる私鉄めぐり
なんでこの日だったのかはさっぱり覚えておりませんが、とにかくこの日はぶらっとお出かけの日
大阪環状線に揺られ、新今宮での乗り換えを経て向かったのは南海電車
大河ドラマ「真田丸」の放送翌年ということもあってか、九度山*1へ向かう南海高野線でもラッピング列車が運行されました
(上田電鉄かな?)
(今回は南海メインなので、あるともしかしたら(主に自分が)便利かもしれない地図も一枚)
んで、中百舌鳥から泉北線に入り、和泉中央へ
泉北のアイドル、和泉こうみちゃんとご対面
いつもの鉄むすスタンプラリーです
社畜を満載し、笑顔で走り抜けるハッピーベアルに狂気を感じた夏の朝
高架化真っ只中の本線を南へ
手前の安全側線に逸れたら、脱線どころじゃ済まなさそう
(どこのツクレールだ)
何気に近畿圏では珍しい気もする、東急のお古
(他は伊賀鉄ぐらいですかね…?)
[ラーメン 並][ラーメン 大][味付煮玉子][自家製めんま]とか書いてありそう
お釣りと切符が一緒にジャッっと出てくるやつ
何気に初乗車な水間鉄道
南海貝塚駅から伸びているものの、阪南では珍しく、南海系列ではない会社
南海との結びつきはずっと強かったものの、長らく独立系での運営
バブルでやらかしそのまま破産しかけましたが、現在はグルメ杵屋の傘下に
そのため、「うどん屋が鉄道を走らせている」と言われることもあるそうで
よかった、乗客0人じゃなかった(
撮影日:2014年8月11日
終点の水間観音に到着
近くには水間寺があります
洒落た駅舎は有形文化財
良い趣です
で、水間観音までやって来た理由がこちら
和泉こうみ、豊川まどかに続く3人めの大阪の鉄道会社の鉄道むすめ
衣装バージョンが複数ある他、グッズ展開や、水間鉄道お得意のオリジナルヘッドマーク*3など、彼女もまた愛されキャラになりますねぇ
時間がないのでサクッと戻ります
構内には元南海1201形の、モハ501形も
誰だお前
明らか異端な顔をしたこいつは、大阪府都市開発(現:泉北高速)が、直通先の南海に走っている6200系をベースに制作した都市開発3000系を、廃車後南海が引取り、南海3000系として再デビューさせた車両
おまけにこの編成は、元6両編成の内中間2両を引っこ抜いて運転台装着させた魔改造車両
あとは、南海3000系が南海6200系に編入されれば完璧ですかね(
薄っすら残る泉北ロゴ
関西鉄むす&萌キャラ巡り紀行 ~03 泉北線の里帰りと、ガチャコンのアイドル~ - 既望月を旅路の友として
前回にもしれっと話した気もしますが
というか割と鮮明に覚えていますが、まあ、使えるネタはガンガンと再利用
こちらはこちらで沼な南海ワールド
生憎形式はさっぱりですが、カッチョイイ車両もいっぱい
富士山の麓にある鉄道会社が黙ってい無さそう
多奈川に到着
クソ田舎かわいい駅です
さらなる軍事需要に対応すべく、現在の多奈川駅にほど近い深日という場所に、川崎重工の泉州工場が建設されたのが始まり
この川崎重工泉州工場への通勤路線として敷設されたのが、南海多奈川線
紆余曲折あり、工場は1942年に開所*4、多奈川線は1944年に開通
工場への通勤の足として活躍しましたが、終戦間近に米軍にボコられそのまま終戦
以降、工場は港に改装され、深日港として淡路島や徳島へ向かう船の発着所に
多奈川線は、大阪と淡路島・徳島を結ぶルートの一部として活躍
しかし、明石海峡大橋の開通や関空の開業などにより、現在は船の発着もなし
阪南のローカル線として、今日もコトコト走ってます
駅前にはダイナミック住宅街
大阪府最西端の町は急坂の模様
扉は海と山
こっちのほうが分かりやすいんですかね、知りませんけど
みさき公園駅に戻り、まだまだ南下
紀ノ川を渡れば、時期に和歌山市街
ここからは、このおめでたそうな電車に…
は、乗らず
こっちの限界国鉄車で移動です
(当時はバリバリ現役だったんですよ)
同じ和歌山市に中心駅を抱えていながら、それぞれが別の場所にあるちょっと面倒くさい構図
それも、徒歩10分とかそんなレベルではないぐらいの離れっぷり
(脱線フラグ満々の地図)
この背景を色々探ってみると結構面白いものが出てきたので、ここでもう一発逸れておきます(
(まあ、このネタ一回やっているんですけれどね)
和歌山と和歌山市、2つのターミナル駅の変遷
はじめに、こちらは1886年時点の和歌山の地図
(画像は、国土地理院、2万迅速図・仮製図-和歌山-1886と2万迅速図・仮製図-秋月村-1886、地理院地図より改変作成)
和歌山城の北側を中心に都市が形成されているのがなんとなくわかります*5
ですが、現在の和歌山駅周辺はただの田畑
当時では、まだ市駅周辺のほうが都市と言えたのでしょうか
そしてこちらが1898年時点の和歌山地区の路線図
南海鉄道(1898):難波から線路を伸ばし、和歌山北口(現:紀ノ川)まで南下
紀和鉄道(1898):和歌山(現:紀和)から船戸(仮)までを開通
やはり目指す先は市街地の北部
南海鉄道(1903):紀ノ川橋梁を架設し、和歌山市へ乗り込み
紀和鉄道(1903):南海線の合流ポイントまで線路を伸ばし、和歌山市駅へ乗り入れ
これにより、和歌山市駅が和歌山の玄関に
和歌山線(1907):1905年に関西鉄道に譲渡され、1907年に国有化
加太軽便鉄道(1912):加太~和歌山口まで開通
和歌山水力電気(1909~12):和歌山市(市駅)~黒江を順次開通
新たに2つの鉄道が和歌山へ
やはり紀ノ川が難関
加太軽便鉄道(1914):紀ノ川橋梁を架け、和歌山市入り。和歌山口を北島に改称*6
山東軽便鉄道(1916):山東(現:伊太祈曽)~大橋(現:和歌山駅の西側辺り?)を開通
山東軽便鉄道(1917):大橋~中ノ島(和歌山線和歌山駅付近)を延長
加太軽便もやっと紀ノ川を越えられた他、和歌山電鐵の前身となる山東軽便も発足しました
初めは、結構内側をグイグイと走り、今の紀和のあたりまで来ていたんですねぇ
(といっても、当時はほとんど田畑だったみたいですが)
(路線については、こちらの地図を参考にざっくりと記入)
水力電気(1918):和歌山進出を狙う京阪の手により買収、電力事業もろとも京阪の和歌山支社に
山東軽便(1924):紀勢西線の開通に伴い経路変更、東和歌山駅(現:和歌山駅)が終点になる
和歌山市駅開業に遅れること19年、やっと和歌山駅の前身である東和歌山駅が誕生しました
現状はただの途中駅+軽便鉄道の終点駅
これからどんどんターミナル化していきます
阪和電鉄(1930):和泉府中~阪和東和歌山が開通し、阪和電鉄全線開通
京阪電鉄(1930):昭和恐慌の煽りを受け、事業撤退。電力部門と共に合同電気へ移譲
合同電気(1930):公園前~東和歌山開業
加太軽便(1930):加太電気鉄道に改称
阪和電鉄の開通により大きく揺らぐ和歌山鉄道圏
普通なら、素直に都市部である和歌山市に乗り込むものですが、なぜか真っ直ぐ南下して東和歌山へ
まるで、将来的に国鉄に買収されるのを見越して建設しているようなルート選定に、一体どんな理由が…
ええ、秘密裏(?)にお国と色々コソコソ打ち合った結果ですよ、当然じゃないですか
初めこそは、紀勢線開通により立場が危うくなる汽船会社や、安定した供給先を求めていた宇治川電気(現:関電)、和歌山への進出を企む京阪などにより計画された路線でした
が、南海の買収に失敗*7し、紀勢本線宙ぶらりんの危機に瀕していたお国が色々と提案
最終的に国鉄天王寺と国鉄東和歌山を狭軌で結ぶ、ほとんど国鉄線みたいな路線が誕生しました
山東軽便(1931):社名を和歌山鉄道へ変更
和歌山線(1935):阪和電鉄との交差地点に、紀伊中ノ島駅を開業
合同電気(1937):親会社の東邦電力へ鉄道事業と共に吸収
東邦電力(1940):鉄道事業を阪和電鉄へ移譲。阪和電鉄は和歌山電軌を設立させ、この会社に運営させる
阪和電鉄(1940):お国の意向により、南海へ吸収*8。南海山手線になる
加太電鉄(1942):南海に吸収され、南海加太線に。和歌山口駅も和歌山市駅に統合
路線図上は大した変化が無いのに、名前は二転三転する…
そして何があったのか、お国に買われるはずだった阪和電鉄は、ライバルの南海と合併することに
当時は、阪和天王寺~阪和東和歌山~白浜と、南海難波~南海和歌山市~白浜を結ぶ、黒潮号が運行していました
もう一方の南海難波~南海和歌山市は国鉄客車を南海の電車が牽引
南海黒潮号は続いて、和歌山市~東和歌山をC11に牽引され、東和歌山で阪和黒潮号と併結
それぞれの会社の電車に牽引されてきた南海黒潮号と阪和黒潮号は、国鉄のSLに引っ張られ白浜までラストスパート
そんな変な電車も走っていました
このこともあり、合併させておきたかったんでしょうねぇ
(国鉄が買い上げれば一番早いものの、お金がピンチだったそうで)
南海山手線(1944):南海がいい感じに整備していましたが、戦時買収に乗じて遂にお買い上げ。やはり捨てては置かなかった
近鉄松江支線(1944):東松江~紀ノ川に松江支線を敷設
近鉄南海本線,加太支線,松江支線(1947):終戦に伴い離散、南海電鉄へ
南海加太支線(1950):台風で紀ノ川橋梁がジャー
南海加太支線(1955):北島~和歌山市を廃止。東松江~北島を北島支線に改称、東松江~紀ノ川を加太支線に
南海がくっついて離れて
そして戦後に橋が流れて、加太支線は紀ノ川経由で和歌山市入りすることに
(元々松江支線は東松江南に広がる工場群からの貨物を、強度が雑魚い紀ノ川橋梁に代わって輸送するための貨物線)
南海加太線(1955):北島支線廃止
和歌山鉄道(1955):和歌山電鐵に改称
南海和歌山港線(1956):和歌山市~和歌山港(初代)*9敷設
和歌山線(1961):田井ノ瀬~東和歌山に支線敷設
和歌山電軌(1961):全線南海へ移譲
和歌山線(1968):和歌山を紀和に改称
紀勢本線(1968):東和歌山を和歌山に改称
南海和歌山港線(1971):和歌山港(初代)~水軒*10敷設。
和歌山線(1974):田井ノ瀬~紀和廃止
南海和歌山港線(2002):和歌山港(二代目)~水軒廃止
開業当時から一緒にやってきた紀和駅に見切りがつけられました
かつて一中間駅だった和歌山駅は、今や大阪、南紀、奈良、市街西、貴志の5方面に伸びるターミナル駅に
その運命を決定づけたのは、やはり阪和鉄道の東和歌山接続だったのでしょうか…
しれっと北島支線も廃線になっちゃっています
ですが、航空写真を見ていると明らか線路が通ってた箇所がくっきり
おまけに、紀ノ川橋梁も市道に転用されているという…
紀ノ川橋梁に関しては着々と付け替え工事が進んでいるみたいなので、要早期来訪ですね…
とまあ、そんな紆余曲折あって今の和歌山市街の鉄道網があるわけで
(にしても終点駅や接続路線はおろか、名前すら剥奪された紀和駅のなんと不憫なことよ)
で、なんの話でしたっけ
途中まで調べて面倒くさくなったけど、切り捨てることもできずだらだら続けて、気がつきゃ一月ぐらい経ってたとかそんなことはないですよ、ええ
まだそんなところ手つけてたんですね(
ただ、字数もあれなんで、今回はここまでとしましょう(面倒くさくなったやつ
アマプラ登録したので、次回の更新がすぐ来るのかは怪しいところですが、またしれっと更新することでしょう(
次回はきっといろんなフレンズ登場の癒やし回
キリンのように首を長くしてお待ちいただければ幸いです
では、以上