卯月のチャリンコ上洛旅 ~後編 洛中突入、東西分裂と交差点に咲く百合の花~
どうも、気がつけば3月も終わっていた既望路です
春休みに突入していたくせに、全く音沙汰なかったですね
(開く一方の遅れ)
大体は卒業一年前の春から、世の学生を苦しめる悪しき風習のせいだと思っていただければ大体正解です
まあ、忙しくて時間が、ってよりかは、心折れてずっと寝込んでて更新できなかったって言ったほうが適切なんですけれどね
この手の「*。:゜自分に自信を!*。:゜☆」的なイベントは、恐ろしいほど自分には不向きなので、どうやり過ごそうかと画策する日々
さてさて、前回の更新から今回も少し色々なことがありました…
グレーに山吹のアクセントが好き
想いを乗せて
改正前に、満潮で沈みゆく岩の上で限界撮り鉄
三大急流もなんのその
「夜景、見に行かない?(サセボ)(イケボ)」
霞が凄かった (ママー!!)
坂の上の猫
なんだかんだで佐賀以南は初めてです
あとは熊本、宮崎、鹿児島、沖縄ですかねぇ
(沖縄行く機会あるのかな)
更新は少なくとも平成のうちには無理ですね
(あと数時間で新元号が公開だそうで)
さてさて、余談はさておき、さっさと更新進めましょうか
既に3月末、3つ前の環状線一周旅からぼちぼち4年が経ちます
4年遅れももう目の前ですね()
5年遅れを迎えないためにも、ササッと更新しちゃいましょう
(4年遅れは受け入れるスタイル)
前回はこちら、チャリンコで京都までぶらぶらしてたお話です
第二京阪沿いを走り、流れ(た)橋や、宇治平等院、澱川橋梁などへ寄り道しつつ、京都市伏見区までやってきました
今回はその続きから行きましょう、ではどうぞ
突入、洛中
お稲荷さん前で記念撮影
今では信じられないほどの人の少なさですが、これも稲荷祭だからでしょうか・・・?
(稲荷神は今頃お旅所なので、本殿は空です)
一体どこからがあの格子状の枠の中かと言われれば困りますが、このあたりはギリギリ入ってもおかしくないんじゃないでしょうかね
(一条~九条と異なり、ここだけ近代に入ってから作られた通りですが)
というのも、古来平安京の条坊制に則れば、南限は2本上の九条通になるんですよね
(市バスの循環系統が通る南限もまた九条通)
まあ、ここは気持ち次第です
とりあえず京都入りです
十条烏丸
かつては東の端の方にある小路だった烏丸通も、今では京都の中心を通るメインストリートです
こちらより、北上して京都駅を目指します
京都駅に到着です
開業から20年以上経ちますが、未だ衰えぬ近未来感
夜に来ると、これまたカッコいいんですよね
稲荷祭関連の巡行でしょうか
お神輿本体はトラックでブーンなので、こちらはそのお出迎え的な何かでしょう
お昼は京都駅南のイオンにあるうどん屋で
天かすとネギ入れ放題の某うどん屋ですね
お ま た せ
恒 例 行 事
ア ニ メ イ ト
この店舗は翔鶴姉です
2期どうなるんでしょうね
京都タワーの前で記念撮影
こう見えて京阪の所有物です
(よくよく見ると、京阪の広告も)
本願寺教団の分裂
再び北上開始
ガッツリ黒つぶれしていますが、東本願寺の三門です
(なのに黒つぶれ)
この東本願寺と、堀川通に面している西本願寺は共に浄土真宗の総本山になりますが、こちらの東本願寺は浄土真宗の中の真宗大谷派という宗派の総本山で、西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山になります
細かい経緯は割愛しますが、戦国最強の宗教教団であった浄土真宗は、石山合戦時に織田信長と徹底的にやり合う強硬派と講話条件を結び撤退する穏健派に分かれていました
結局、信長の講和条件を飲み、鷺森へ撤退することとなりましたが、強硬派は石山本願寺が消し炭になる直前まで居座り続けました
信長が本能寺の変で自害し、豊臣秀吉が全国統一を果たした後、秀吉は和泉の方に逃れていた教団へ京都にあった土地を寄進しました
それが現在の西本願寺の建つ場所で、ここが新しい「本願寺」となりました
このときの宗主がかつての穏健派を率いていた顕如だったのですが、この顕如が入滅(ご臨終)した後、かつて強硬派を率いていた教如があとを継ぐことになりました
ですがこの教如、側近に元強硬派ばかりを重用し、元穏健派は蚊帳の外状態でした
ただでさえ内部分裂気味だった教団は益々仲が悪く、更に顕如が残した遺言に長男の教如ではなく、三男の准如を宗主にするようにと書かれていました
結果、秀吉の命令もあり、遺言に従って准如を十二代宗主にする流れになり、教如は本願寺の隅の方で退隠させられました
これで一件落着かと想いきや、ここで徳川家康が首を突っ込むことになります
秀吉が没し、関ヶ原の合戦が終了した後、家康は前より交流のあった教如に新しい土地を寄進
本願寺の隅に追いやられていた教如は、この新しく貰った土地に堂を建て、新たな本拠地にしました
ここで、准如率いる元穏健派と、顕如率いる元強硬派がキッパリ分かれることとなりました
これが後の、浄土真宗本願寺派「西本願寺」と、真宗大谷派「東本願寺」になります
(知っている方は、龍谷大学と大谷大学とでも思っていただければ)
戦国最強の教団であった浄土真宗、土地の寄進をきっかけに完全に分かれ、勢力も半減
裏でほくそ笑むは徳川家康
そんな構図ですね(
徳川家康が本願寺勢力をぶっ潰したいがために、強硬派を支援し分裂に仕向けた、というのが通例となっております
エグいっすね、あのドラえもん
さて、どこが割愛だったのかさっぱりですが、本線復帰と行きましょう
京都駅のすぐ南を通る八条通から、ヨドバシカメラの北、七条通をまたぎ、次なる大通りの五条通へ…
ええ、n*1条通シリーズは大体大きな通りですが、六条通だけやたら影が薄いです
六条通も一応あります、一応
ですが、完全な生活道で、烏丸通以西は原付きが通るのがやっとなぐらい細い道です
かつて大路だったとは思えない狭さです
居候する鳩と月渡る橋
ここからブンブン走る車に怯えながら、五条、四条、御池、丸太町、今出川…とどんどん北上
(のんびり写真撮ってたら轢かれる)
やってきた先は…
かつての北限であった一条通の遙か北、こちらへ少し寄り道です…
お目当てはこちら、New Game!のコラボ列車の記録です
アニメ化なんてまだまだ先の時期です
鳩マークを付けた810形
鳩付いていますが、各停です
こちらの鳩HM、ご覧の通り京阪特急の鳩になります
2014年12月から2016年3月まで京阪8010Fにトーマスラッピングが施された影響で、追いやられた鳩くんが暫くの間、叡電の811-812号車に居候していました
まだ京阪通学始める前だったので、写真があったのが奇跡的
810と鳩をかけているのでしょうか(
(アイスティーは帰って、どうぞ)
出町柳で折返しなので、すぐに戻ってきました
叡電コラボ恒例の、凝ったロゴも見どころです
出町柳駅にはパネルも設置されていました
(今どうだっけな…)
紆余曲折ありましたが、なんとか出町柳に到着しました
今は休日には観光客で溢れかえっている鴨川デルタも、この時は自転車で入るぐらいの余裕がありました(しみじみ)
せっかくなので、プチ聖地巡礼
たまこの飛び出しもしっかり撮影
有志作成の飛び出し看板ももはや京アニ名物
(豊郷行きたい)
(Teramachi-dori St.にまだなってない)
かつての東京極です
ここをずっと下れば、らしんばんやメロブが密集するオタクエリアに着きます
日もいい感じに暮れていますが、そうやらまだ動くそうで
今では西大路の一本東にある大通りで、ほぼほぼ西の際ですが、かつてはここがメインストリートでした
この千本通の北には船岡山と言われる小高い山があり、その辺りは昔埋葬地でした
その埋葬地に至る通りであることから、千本の卒塔婆が建てられ、通り名もそこに由来しているとか何とか
千本通を超え、ずーーーーと西へ進むとJR線が
嵯峨野線ですね
奥の方には旧線に分かれる分岐も見えます
そんな場所までやってきました
はい、京都市街最西端の嵐山までやってきました
誰がここまで行けといった
嵐山のシンボル、渡月橋
渡月橋についてはこっちで触れましたね
(今に比べれば可愛い脱線)
渡月橋と自転車
今の体力を考えると、この先見ることの無さそうな組み合わせですね…(
若干の満身創痍感が写真からも伝わってきますが…
帰りもあるんですよね、これ
帰りは渡月橋北から伸びる三条通りをひたすら東に進み、西大路三条へ
八つ橋は聖護院か西尾が好きです
すっかり夜です
四条大宮まで来て、また少し寄り道
それがこちらの交差点
一見なんの変哲もない交差点ですが
(実際そうですが)
一部界隈では、列記とした聖地… のはず
さて、下りましょう
大宮通りをグイーっと南下していきます
すると東寺の麓に到着
護摩焚きをしながら、サンスクリット語由来の陀羅尼を唱えるさまは、平安貴族の心をバッチリ掴んだそうで
(リンクの動画は陀羅尼ではなく般若心経ですが)
4K 高野山 真言密教護摩焚き Shingon Esoteric buddhism Homa in Koyasan
病気とか一瞬で治りそう(小並)
流石に記念写真は厳しい明るさ
(そんなあなたにD7500)
京都市街を脱出し、暫し巨椋池後を彷徨い、再び第二京阪をアップダウン
ここまで来れば、ゴールはすぐそこです
(奥に見えるブレた街頭がアップダウンの激しさを物語る)
6時に出発し、その17時間後の23時にやっと帰還
(普通に遠征レベル)
楽とは言えない道のりでしたが、帰ってきたときの達成感は中々のものでした
それに、京都の広さを身をもって体験することもできましたね
さすがに今、自転車で京都に行こうとは思いませんが、この成功が今後、変なところで影響を与えていくそうで… ( (
さて、今回の自転車旅、前回の環状線一周旅を僅かに上回り110kmという結果に
列車に換算すると、大阪~相生、東京~宇都宮ぐらいだそうで
(遠いのか近いのか)
さてさて、今回は京都の端から端まで横断したようなものなので、少し地図の方を見てみましょう…
だいたい縦断横断
(岩倉地区や洛西入れると全然ですが ん?山科?)
狭い盆地といえども、バスだけで移動するには骨の折れる範囲ですね
京都に馴染みのない方用に、同縮尺の名古屋地区との比較も
といっても私が名古屋に疎いので、これがどうなのかはさっぱりな訳で(
(こう見ると京都も結構狭い…?)
ついでに東京も
山手線全然入らないので、やっぱり狭いですかね
このエリアに大量の観光客が押し寄せるわけですから、そりゃパンクするわけで
やはり京都の地下に人工太陽の輝くネオ・キョウトを増設して、そちらに観光客を移動させるしか…
まあ、そんなことはさておき、これにて卯月のチャリンコ上洛旅終了です
今回は若干尻すぼみ感があったものの、文字数的にはいい感じに終われたかと
(読みやすい文字量が未だにわからない状態で何を言う)
さて、次回予告と行きましょう
次回はこちら、ヘッドブレイクチュンチュンな場所の記事をお送りしようと思います
もう少しヒントを? ではこちらをどうぞ
ま た 京 都 か
気になる手段は… 乞うご期待
来週から授業再開なので、下手すりゃ夏までまともに更新でき無さそうですが、今までまともに更新できた時期なんて無かったので、平常運転と思っていただければ( (
では以上
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