2018年夏遠征編 その1「霊峰を貫いて 立山黒部アルペンルート開発史」
さて、1年と7ヶ月という期間を皆さんはどう捉えるでしょうか。
おおよそ1年半、赤ん坊ならそろそろ簡単な言葉を覚え始めることでしょうか。
季節は1週巡り再び秋から春へ、中高なら学生生活の半分が過ぎ、あの頃インターンをしていた学生もとっくに新卒としてデビュー、あの頃お試しで始めた同棲生活はそろそろ結婚を視野に舵を切り始め、中期的なプロジェクトならそろそろ仕上げの段階で、下仁田ネギならそろそろ収穫時できる、そんな期間じゃないでしょうか。
おっ、ついに閉鎖か、と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、残念まだ生きております。肝臓もまだ頑張っています。
気まぐれに更新して、気まぐれに放置して、また気が向いたら着手する。そんないい加減が19ヶ月のスパンで開いただけなので、それだけなんでしょうねぇと勝手に思っています。
連休で暇ができて、またちょっと調べ物してそれをまとめたりとかしたくなったので、新記事起してみた感じです。(そうだよ、旅行記の皮被った脱線記事だよ、本分は)
気になる遅延も早7年弱になろうとしていますが、日本書紀だってスタートは1300年以上の遅延なので全然大丈夫です(何が)
毎度何かしら挟む前置きですが、流石に色々ありすぎて逆に書くことないので、さくっと本編いっちゃいましょうか。
前回は2018年の夏の話でしたので、今回はその続き。夏の長期遠征のお話です。
ではどうぞ。
2018年8月23日
聞いて驚け、まだ平成

貧乏学生の味方夜行バスで上陸したのは、屋根上に看板掲げた路面電車が跋扈する街、富山。
え、もうこの車両屋根上の看板外したの

今ではボタンがハゲて、接眼目当てがどっか行って、おまけに液晶の内部にヒビまで入る始末のNikon D7500くんですが、当時は導入1ヶ月足らずの新鋭機。
バシバシ撮って遊んでいきます。
(液晶内部のヒビは放置してたら勝手に治ってた。なんでやねん)
当ブログではこのときに登場して以来、やっと本格デビューです

富山から立山の折立へ向かうバス。乗ったら立山連峰の南の方の登山口に行くそうで。
まだ生きてんのかなこの車両

旅先の食費はケチらないが我が家代々の家訓なので、そばに堂々かき揚げトッピング。

まだ時間があるので、ぶらっと富山城跡散策。
富山城は1543年(織田信長が9歳ぐらい)に築かれ、織田信長家臣の佐々成政の居城を経て、江戸期には(東軍に味方して加賀藩を得た)前田利長が入り改修。1639年(徳川家光の時代)には加賀藩から分裂して樹立した富山藩の中心になりました。
現在の天守は、1954年に産業博覧会の際に復興のシンボルとして建築されたもの。
天守自体は「戦国時代にワンチャンあったかもしれん」ぐらいなので、いまある天守は彦根城や犬山城など他の城をモデルにした、いわゆる模擬天守ってやつです*1。
そして富山城と言えば、もう一つ
もうお気づきですね…?

そう、富山城ちゃんです!!
城プロ黎明期からの古参城娘で、大きな薬箱と七つ割り四ツ目(佐々成政の家紋)入りハンチング帽が似合ってて可愛いよ富山城ちゃん!
計略の「反魂丹」はもちろん、薬の国らしく回復スキルさっすがぁ~!!富山城ちゃんを見ているとドキドキが止まらないこの病気にはどんな薬がいいの教えて富山城ちゃん!!!
そして親に向かってなんだその赤フンドシはけしからん!!
いや、髪下ろした姿も可愛すぎん??
このロングヘアでボクっ娘は反則ですよはい。

さて、城の入口にあたる虎口に入ると鏡石がお出迎えです。
権威や技術を示すために、城の入り口にはこのようなデカい石(鏡石)が置かれがちです。大阪城の超ドデカイ鏡石などが有名ですかね。
城に行ってひときわデカい石を見つけた際は、ここがメインの入口だったのかなと思い馳せるのもまた一興です。
富山城ちゃん?これ以上やったら怒られるのでまた今度です
電鉄富山→立山

良い時間になったので、いよいよ移動開始。
昨日のうちに富山入りしてさっきまでのんびり朝食バイキングしばいてた友人と合流して、いざダブルデッカーへ。

ダブルデッカー車に描かれた時代祭のイラストも京阪時代から続くもの。

3000系は駅で見かけることはあっても、結局乗れず終いだった車両。それがここ富山で叶うとは感慨深いもので。
京阪名物テレビカーも現役で、丁度ゴールデンカムイが放映されていますね。

青々とした田園風景かき分け、夏空を走る京阪特急。

胸の高鳴り乗せて、目指すはかの山、立山連峰。

街が田園になり、田園が山間になり、眼下の常願寺川を渡れば、まもなく終点の立山。

ここで乗り換え
いざ、立山黒部アルペンルートへ
ところで立山黒部アルペンルートってなあに
さてここで、「実はアルペンルートって名前だけでさほど実はあんまり知らないんだよね」とか、「アルペンルートってどういう経緯でできたの??」とか、「アルペンルートの各乗り物の距離と駅間標高を表したクソグラフを探しています。妹が病気なんです」といった方もいらっしゃると思います。いますよね??いりますよね????
ちゃんとありますよぉぐへへへ

地鉄は戦前から(宗義おじさんの手腕で)ちょこちょこやってますが、アルペンルート自体が本格的に計画されるのは戦後のこと。
まずは富山側。
復興のため、立山を開発して、水力発電所建設とか観光資源化とかしようぜプロジェクトが発足。*2関西電力、北陸電力、富山地鉄の3社で立山開発鉄道㈱(TKR)*3が設立され、立山ケーブルカーの建設とか、立山高原バスの運行(当時は弥陀ヶ原近くの追分まで)とか色々実施。(美女平からの自動車道自体は県が主体で建設)弥陀ヶ原ホテルが出来たのもこのタイミング。
1956年には、富山~立山~追分(弥陀ヶ原)が開通したわけですね。
続いて信濃大町側。
戦後復興期の電力不足を受けて、黒部川にダムと、黒部川第四発電所を作る計画が始動。関西電力主導により、信濃大町を起点とする資材運搬用のルート開発、大町トンネル(現:関電トンネル)の開通などを経て、黒部ダムが完成。大人の事情*4もあり開通後は、関電運営によるトロリーバスが扇沢~黒部ダムで運行を開始。
戻って再び富山側。
黒部ダム建設(と有峰ダムの建設)が本格的にスタートしたことを受けて、富山県側も1960年に室堂~黒部ダム間を開発して、富山~長野間を立山を貫いて結ぶ交通路を計画。富山県、関西電力、北陸電力、立山開発鉄道(TKR)の4社によって、立山黒部有峰開発㈱(TKA)が設立。60年時点でも弥陀ヶ原~室堂では資材運搬用の四駆用の道が既に開通していましたが、立山黒部有峰開発がこれを自動車道へ拡張し、1964年に室堂まで開通。既に開通していた美女平~追分間も合わせて、美女平~室堂のバスによる運行が開始しました。
(この時点では麓から美女平までの道路は無く、物資も車も全部ケーブルカーでの運搬)
残るは室堂~黒部ダム。
ここの担当は、富山県、関西電力、北陸電力、立山開発鉄道(など)によって設立された、富山黒部貫光㈱(TKK)によって開発が進められました。*5
元は自動車道路での計画でしたが、環境が過酷すぎて、結果全線地下式のケーブルカーと、日本最長のワンスパン方式ロープウェイと、自動車道(立山トンネル)で施工。
特に(今は立山バスが通っている)立山トンネルは破砕帯ぶち当たりまくりで困難を極めましたが、1969年に開通。
1971年の6月に、立山黒部アルペンルートが全線開通することとなりました。
立山ケーブルカーの着工から、約20年の歳月が経過しました。
また、麓~美女平の自動車道についても、立山黒部有峰開発(TKA)によって、桂台~美女平の自動車道が1970年に開通。(管理は追分~室堂同様、道路公社によるもの。)
これによって、室堂への自動車でのアクセスも可能になりました。(マイカー規制あり)
そして、桂台~美女平、追分~室堂の道路開発を行った立山黒部有峰開発(TKA)は1979年に、立山ケーブルカー建設と立山高原バス運営(と現:地鉄立山線の一部区間の敷設)を行った立山開発鉄道(TKR)は2005年に、それぞれ立山黒部貫光(TKK)に吸収され現在に至ります。

そうやって辿ってみると、
①立山~追分開通(TKR)
③追分~室堂(TKA)
④室堂~黒部ダム(TKK)
の順で出来ていったのがなんとなく見えてきますかねぇ
ほとんど宗義おじさんTKR・TKA・TKKによるものですが、関電もその一翼を担っているのがちょっとアツいです。

そしてこちら、シェフの気まぐれクソグラフになります。
縦横比クソガバですが、各乗り物の距離の割合とか、勾配の違いとかは可視化できているかな??と。
こうしてみると、高原バスが半分以上占めてたり、室堂~黒部ダムを自動車道で結ぶのは無理やろってのが見えてくる気がします。
美女平~弥陀ヶ原と弥陀ヶ原~室堂の傾斜が全く同じように見えるのは、勾配が均一になるように道路が作られているのか、それともグラフがミスっているのか。暇な人は三角関数使って調べてみてください。
というわけで、今回の脱線パートでした。久々だからって油断しちゃだめです。
以下、主な参考です。
・立山黒部の開発と観光 | 立山歴史探訪 | 楽しみ方ナビゲート | 立山黒部アルペンルート
・『観光地としての立山黒部アルペンルートの形成過程と富山県側での論議』十代田郎、野崎哲矢
・世紀の大工事~くろよん建設ヒストリー~|くろよんヒストリー|ブランド|関西電力
・その他各Wikipediaページ
一番上のTKKの沿革が分かりやすいので、まともなものを見たい方はそちらをどうぞ(
立山~美女平

長い長い乗り換えを経て、一発目の乗り物「立山ケーブルカー」へ(乗り換え長くしたの誰だ)
手前の車両か奥の車両かドキドキですね(
珍しく貨車を繋いだケーブルカーで、多客時はでかい荷物はこっちに載せられるとかなんとか
そんなかつて高原バスも運んでいたケーブルカーで登ること7分

終点の美女平に到着
いい景色☆

美女平駅からすぐ、森への散策路が伸びているので、1-2本バスを遅らせて少し散策といきます。

電車とケーブルを乗り継げば、そこは鳥がさえずり巨木が茂る森の中
勿論、山道をゆくのでそれなりに歩きやすい格好で
美女平→室堂

美女平からは立山高原バスに乗って、目指すは室堂。
ここはずっと日野車だそうで

右へ左へ、標高を上げながら進むバス

直前横断で急停車

限界極めてますが、称名滝。進路左側になります。

標高が上がるにつれ、車窓の風景も高山らしい景色に

真夏でも残る雪

美女平から50分、終点の室堂に到着。
風は涼しく、湧水は美味い。

ほら鱒寿司、室堂の高原だよ
広がる高原を眺めながら、涼風に吹かれ富山駅で買った鱒寿司を食う

周囲に広がるは、まるで異世界のような清々しい高原。まるで極楽浄土…
そう、ここ立山は古くから神の山として仰がれ*6、富士山、白山と並び日本三霊山の一つに数えられます。立山権現を本尊として仰ぐ立山修験の舞台であり、その本地仏は阿弥陀如来になります。
「死者の魂は山の上に登る」という信仰を背景に、ここ立山の各地がそれぞれ極楽浄土と地獄の象徴とされ、今でも地名にその由来が残されます。

火山ガスが吹き出て硫黄臭立ち込めるここは地獄谷
死後は皆地獄に堕ちる定めなので*7、阿弥陀如来に救済してもらい(他力本願)、極楽に往生しましょう
そんな教えを立山山麓の岩峅寺や芦峅寺の僧たちが曼荼羅図をもって説いて周り、ここ立山は一大聖地へと発展していきました

こちらはミクリガ池
深い青の美しい湖も、昔は八寒地獄に例えられたそうで
現在ではすっかりレジャーとしての観光地となった立山ですが、今でも「地獄谷」を始め、「血の池」「餓鬼田」*8「弥陀ヶ原」*9「称名滝」*10など、様々な仏教的な地名が残るのも、ここ立山が聖地であったことに由来するのでしょう。
(美女平の地名も、当時女人禁制であった立山に入山した尼僧の従者が神罰により杉に変えられてしまった伝説に由来するそうで)
立山の開山縁起とその信仰については、こちらの立山博物館の絵解き動画をご覧になれば100倍理解できます(
(立山開山縁起に出てくる「白鷹」で何かを察するオタクたち)*11

気持ち蛇行気味だったかもしれませんが、脱線はしていませんよ??
ほら見て、きれいなお花。何も怖くないよ。
たっぷり1時間高原を散策して、お次の乗り物へ
室堂→大観峰

幾度もの破砕帯と戦いながら開通したアルペンルート最後の難関、立山トンネル
全国で残り2路線となった、環境にも優しいトロリーバスです(もう全滅したとか言うな)
最初からトロリーバスだった関電バスとは異なり、当初はディーゼルバスでの運行でしたが、排気ガスの排出が追いつかなさすぎてトロリーバスに転換されました(そして今では電気バス)

青くなっているところが丁度破砕帯の部分

トンネルの中を進むこと10分、大観峰に到着。

立山トンネルで山頂直下をぶち抜いて、長野県側へ
アルペンルート随一の展望台からは、黒部ダムとそれを囲む深い山々が望めます。
よくもまあこんなところにダムを作ったもので
大観峰→黒部平

今度はロープウェイで黒部平へ一気にシュゥゥゥーッ
超!エキサイティン!!
支柱が一切無いのもあって、景色がとてもスッキリ

黒部平に到着
山頂越えると、途端に天気が悪くなりましたね

ここには庭園が併設されていて、様々な高原植物が花を咲かせています。
これは何かのお花。

高原ちょうちょ。*12
黒部平→黒部湖

散策を終え、レトロなケーブルカーで黒部湖へ
開業以来ずっと車両更新をしていないとか(トンネルの中しか走らないから、傷みにくいんですかね。知らんけど。)
黒部湖→黒部ダム

黒部ダムへ到着。
ここから数十mの徒歩。

展望台より黒部ダムを望む。
よくもまあ、この険しい山奥に作ったものだと思わされる規模です…。
完成当時は、大阪の2割、京都の8割をここの黒四発電所で担い、関西の戦後復興を導いていきました。

ダム建設に関するパネルや映像も、ここで展示。
名だたる建設会社のタッグで造り上げられた大規模ダム。アツい

ダムの高さは186mと日本一、目前で聳えるその姿は圧巻の一言。
黒部ダム→扇沢

立山黒部アルペンルートもいよいよラストスパート
電気バス?ミライノハナシチョットワカンナイ

それでも、2018年がラストイヤーでした。

先人によって築かれたトンネルをゆく。
破砕帯との戦いのほか、少しでも早く開通させるために冬の立山に籠もり、富山側からも掘り進められたそうで…

トンネルを進むこと16分、扇沢に到着。

バスに集電装置。路面電車とも似つかない、不思議な外見。
扇沢→長野駅

到着の余韻も束の間で、直ぐ様バスに乗り換え

発見と感動に満ちた横断劇でした。

締めは信州そば。
コシのあるスルスルとしたおそば。
総括
鉄道やバスを乗り継いで立山を横断、予想以上にワクワクしました。(語彙)
黒部ダムを間近で見学できる他にも、美女平の乗り換え時間で森林浴をしたり、室堂で気軽にハイマツが茂る高山帯を散策したりできるのも魅力の一つだと思いました。
都会に疲れたら行こう、アルペンルート。
なお各乗り物はまあ混む。(直で乗り通す人も多いので、散策パートは結構ゆったり)
というわけで、この日は長野まで。
さて、翌日はどこへ向かうのか…

𝑻𝒐 𝒃𝒆 𝒄𝒐𝒏𝒕𝒊𝒏𝒖𝒆𝒅――
では、以上。
7000字だ、健全健全
*1:完璧再現:復興天守、忠実じゃないけど建てた:復元天守、天守無かったけど建てた:模擬天守
*2:湾曲した表現ですが、富山県第一次総合開発計画がにそんな感じ
*4:国定公園内にトンネルを掘ることから、開通後は一般公衆利用に供することが条件だった
*5:初代社長は富山地鉄・富山開発鉄道と同じく佐伯宗義(多分TKAも同じ。ズブズブやんけ)。アルペンルートはこの人によって作られたといっても過言ではない。
*6:古くは万葉集に、立山を神の山と崇める歌が大伴家持によって詠まれています
*7:平安末期以降から仏教的に末法と言われる、仏も法(教え)も僧も無くなる暗黒の時代に突入したので、救いがない。
*8:弥陀ヶ原にある小さな池の集まり。餓鬼道に堕ちた者が飢えて造った田だとか
*9:阿弥陀仏の銅像を安置したことから「弥陀ヶ原」。また、神道的な要素として、天照大神の御田であるから「御田ヶ原」とも。
*10:滝の音が「南無阿弥陀仏」の称名念仏の声に聞こえるから。
*11:なお実際に立山まで直通したのは、はくたかではなく雷鳥の模様
*12:アサギマダラですかね