どうも、早くも室温が34℃を突破し、本格的にエアコンの起動を考える既望路です
35℃超えれば迷わずスイッチオンなわけですが、なんともイヤらしいところで…
そんな夏迫る時期の近況は、以下の通り
まさかのゆるゆりと叡電のコラボということで、軽く記念乗車券の購入と、ポスター掲示駅(10駅)の巡回を済ませてきました
濃厚鶏だくラーメンでしたが、絶妙に整えられた美味さで完飲余裕でした(
まあ、そんないつもの存在意義不明な近況報告はさておき…
今回は遠征も終えたので、久々に圧縮編をお送りしようと思います
前回の圧縮編は雪の季節、そして今回は桜の季節をお送りしようと思います
(2~3月は本当に遠征ぐらいしかなかった)
では、どうぞ
2017年圧縮編 02
気がつけば大学生活もはや一年が経過
単位も資格の数も次々と増えていく中、依然友人と呼べる代物には縁のない日々
出会いと別れの春とは言うものの、二度目の春に出会いはあるのかーー
4/12 桜色京都、平野、嵐山、鴨川
この日はゼミの顔合わせを兼ねたお花見
やって来た先は、桜の名所、平野神社
ここ平野神社は、一節によれば平安遷都を行った桓武天皇の祖先を祀ったことがその縁起だそうで
故に平安京ができたその時からずっとある、歴史ある神社になります
また、源氏や平氏、菅原氏や大江氏など、皇族の親戚に当たる貴族たちの氏神としての信仰も集めていました
そのこともあってか、ここ平野神社には、各貴族のそれぞれの標となる桜が奉納され、今でも約60種の桜が咲き誇る名所となっています
(円山公園の枝垂れ桜も、ここ平野神社から移植されたものだそうで)




淡い桜色を始め、月のような白から薄紅色の桜まで色とりどり
平安時代の貴族や、江戸時代からは庶民も、ここ平野神社で花見を楽しんだそうで
早咲きから遅咲きの桜まで、約1ヶ月半の間花見が楽しめるスポットとなっていますので、是非どうぞ
結局一人で写真撮って終わったゼミ顔合わせを終え、今度は嵐山へ
ここもまた、桜の名所ですね
D51-51と桜
戦時輸送の強化と相まって、実に1115両が製造されたD51
このうち、1~85,91~100号機の95両は、初期型などと呼ばれるタイプで、給水温め器*1、砂箱*2、蒸気溜め*3の三つを、煙突後方に設置し、丸ごとカバーで覆ったのが特徴
通称:ナメクジ
それ以降の量産タイプでは、給水温め器が煙突の前に置かれ、砂箱と蒸気溜めが一つのドームとして、ボイラーの半ばにこんもりと設置されるようになります
(群馬旅行の記事?そのうち、そのうち出るはずですからっ…!!)
マイクロエース Nゲージ D51-23 スーパーなめくじ A9508 鉄道模型 蒸気機関車
他にも、初期型の内、22,23号機は、キャブ(運転室)まで伸ばしたスタイルで登場しました(後に戻されました)
通称:スーパーナメクジ
D51はその数の多さゆえ、バリエーションも豊富なので結構面白いんですよねぇ
(まあ、機械には疎いので、細やかな差異なんてものはちんぷんかんぷんですが)
そんな貴重な初期型D51でしたが、19年の末に解体となってしまいました…
(梅小路の部品取り用になるという噂が濃厚のようで)
1937年に登場し、34年間関西圏を駆け、引退後はくずはモールで静態保存
2004年にこのトロッコ嵯峨駅前へ
今後は他のSLの一部となり、支えていってほしいものです…
続いてこちらは、恒例の鉄むすスタンプラリー
彼女は駅務員の「嵯峨ほづき」さん
京都らしいお淑やかな京美人さん
レトロなものが好きで、特にSLは全国を保存車両を見て回るほど
(トロッコ嵐山には先程のD51の他にも、19世紀ホールにC56やC58などが保存)
JR西系列の鉄道会社としては初の鉄道むすめ
嵐電や横浜シーサイドラインや、後に登場した黒潮しららちゃん、城崎このりさんとのコラボが盛んで、グッズ販売にも積極的
売店でも専用のコーナーが設けられるほどで、中々愛されている印象ですね
観光地×行楽シーズンということで、乗車はまたの機会…(
せっかく来たので竹林の小径もぶらり…
時節柄、情緒もクソもない状態ですが( ( (
挙げ句タクまで突っ込んでくる
夏冬の早朝とかいいんじゃないでしょうか(白目)
嵐山公園の頂上展望台より
ポツポツ咲く桜と、分かりにくいですがトロッコ列車もいます
(彩度バチバチに上げないとですね)
授業が終わり帰宅
出町柳の桜も満開でした
そんな桜尽くしな一日でした
4/14 空きコマ嵐電大作戦
この日も空きコマ散策
1限必修の日は2~3限を空けて、4時間の散策タイム
嵐電最古参コンボ
車籍は91年、車体は45年(台車は52年)
江ノ電塗装をまとったモボ631
新しそうな顔して足回りは84年選手(台車のみ製造時から新造)
嵐電の中でも一風変わった顔つきのモボ501
都電の7700形をイメージしたとか
前に一度出した表ですが、このモボ501も例にもれず機器流用車であることが分かります…(
台車もほら、とんでもなく古そう( *4
(2018年の3月に住友FS93とやらに交換されてしまったみたいですが)
何気ない撮影ですが、こういうこまめな記録は大事なもので
4/22 烏山線、大阪南港で一休み
この日は休日
あいも変わらずチャリンコを転がして、えっちらおっちら
ほぼほぼ大阪横断だったので、着く頃には少し日が落ちている
やって来た先は咲洲の某所
2017年の春に烏山線を引退したキハ40-1000の一両を、山口の錦川鉄道が購入
そのキハ40をアチハ株式会社さんが山口まで輸送… だったのですが、山口の道路が土砂で埋まり通行止め
そのため、ここ大阪でしばらく待機となっていました
そこでアチハさん、前々から保管していたキハ28*5のブルーシートを剥がし、キハ40と並べて待機
挙げ句、中での撮影もOKとのこと
本当にありがたい話です…
日付の都合が合わず断念した烏山線のキハ40が見れるチャンスということで、南港までチャリを走らせたというわけです
キハ40形1000番台
JR全社に継承され、それぞれの会社で改造、番台の付与がなされたキハ40ですが、この1000番台は、唯一国鉄時代に改造された番台*6
烏山線用に改造された番台で、内容はざっくりいうと、便所の撤去、ワンマン化改造、ロングシート化の3つ*7
この1009は民営化してから改造された車両で、便所跡の窓がそのままだとか細かい違いが残るとか
1982年に新潟鉄工でキハ40-2139として登場、1995年に郡山で改造されキハ40-1009へ
こうして一両だけでも残ってくれたのは、ありがたいことで…
そしてキハ28
晩年は山陰の方を走っていたそうで
社員の方に「こっちにもSLがいる」と教えて頂き見てみると、小さなタンク車
日本鋼管の112号機だそうで
きっちり整備されているのが印象的でした
再びキハ28とキハ40
この二両が大阪で顔を合わせるのも、これが最後なんですかねぇ…
いやぁ、素敵なものを見せていただきました
撮影をOKして下さったアチハさん、ありがとうございましたっ!
横から見ると結構ゆったり
「新木津川大橋」
貨物船等の大型船舶が通る関係で、かなり高い橋になっています
(車道は三重のループ線で、歩行者用に渡船もあり)
ガヤガヤしたいつもの大阪の町
カフェイン入れつつ、気合でまた大阪横断して帰宅しました
というわけで、これにて圧縮編その2、以上になります
やはり、遠征でなくなると脱線オンパレードになりますね(
更新ペースも色々とあれなので、なんとかせねばと思うわけで
次もきっと圧縮編
早めの更新ができればいいですね(遠い目)
では、以上