仰げば尊し、春の卒業大遠征 ~その6 帰阪、第3回富士山チャレンジ~&戦前京阪の直通への挑戦
どうも、珍しく規則正しい生活が続いている既望路です
14日にあった大垣公開のためにリズムを、昼夜逆転から無理やり戻したわけですが、以来ずっと朝起き夜寝の生活が続いております…(
これも、授業もバイトも無い生活のおかげですかねぇ*1
朝昼晩をきちんと食べるようになり、カップ麺の消費が加速したので最近は代替の軽い料理にも手を付け始めております
(まあ、あくまでも簡単料理に留まる限りですが)
さて、そんな規則正しい生活で一体なにをしているのかと言えば、特に思い出せない日がほとんどなんですよね(
まあ、それでも、週に一回ぐらいは自主的な外出しています
そのひとつがこちら
京阪のファミリーレールフェアです
(こんな乱暴な中見出しの使い方があるか)
普通に自転車圏内のイベントですが、何気に今まで未参戦
(休日は基本バイトでしたしね…)
特急通過駅に止まる快特というのは中々強いですが、車両は6000*2という大外れ
(これじゃ洛楽じゃなくて洛落だ)
みんな大好き、吊り下げ電車
京阪、琵琶湖直通への挑戦
個人的なお目当てだったびわこ号
1930年代に起きた流線型ブーム*3のさなか登場した車両で、日本初の連接台車を採用した車両でもあります
京阪本線の最西端、天満橋*4から、京阪本線最東端三条駅を経由し、京津線浜大津までを直通するびわこ号として活躍しました
もともと、京阪本線の五条~三条は京都市電から「琵琶湖への直通」を条件に貸し出しされていた路線で、契約失効が迫る中、京都市から「いつまでも琵琶湖に直通せんのやったら、あんたんとこの五条~三条はうちら京都市電に任せてもらったほうがええんとちゃいます?」と催促を受け(奪われかけ)、開発が急がれたのがこの「びわこ号」こと60型電車でした
京津線といえば「地下鉄・山間部・路面電車」の3点よくばりセットで有名ですが、当時も「山間部特有の急カーブと急勾配」「大津市街は路面電車」に加え、「建築限界が小車体のまま」という中々の厳しい路線で、そんな路線と京阪本線を直通できる列車を開発しないといけない、という特殊な条件下で開発されました
そんな、癖の強い60型のポイントがこちら
- 山間部の急カーブをクリアし、尚且連結無しで大量輸送にも対応するため、車体は「2両連結の連接台車」を採用
そんな、二つの異なる路線に対応した、異例尽くしの60型が、ここ寝屋川車庫にて今も大事に保管されています
中はレトロチック
(子供が多いので、かなり待った)
連結部は京津線の急カーブにも対応できる、筒状の貫通路になっています
(急カーブすぎて、普通の幌だと対応できないそうで)
「京阪電車沿線名勝案内圖(図)」
嗚呼、我らが新京阪
ご覧の通り、この時代は淀川の北側にも京阪が勢力を伸ばしていた時代です
京阪、梅田乗り入れへの挑戦
ここに描いてある路線を地図上に置き換えたものがこちら
(ややこしいので一部私鉄と国鉄は省きましたが)
そして現代
(緑:京阪 赤茶:阪急)
何が起きたかは一目瞭然でしょう…
そう、交野線が信貴生駒鉄道から、京阪に移りました!(
ええ、いつの間にか北側が阪急に吸収されています
1910年に天満橋~五條が開通、その5年後には五條~三條も開通し、大まかの京阪本線は全通します
(元々は現在の淀屋橋付近まで線路を通したかったのですが、大阪市が市内への他社の介入を断固拒否*7したため、泣く泣く天満橋までの開通)
ただ、設置が軌道法だったので路面電車区間が1/3を占めたり、京街道に沿ったためやたらカーブが多かったりで、高速走行には凡そ向かない路線でした
そのため、新たに京阪間を結ぶ私鉄が現れたら、相当まずいわけです
そして当時は、梅田~三宮の阪急と阪神の戦いを筆頭に、各私鉄が血を血で洗う骨肉の争いを繰り広げている、まさに私鉄戦国時代でした
ここで京阪は、京阪間を結ぶ新たな私鉄が出てこないように、牽制として淀川の対岸に自分で新たな路線を通すことにしました
これが新京阪鉄道線です
元々は自力で京都から梅田まで路線を引っ張る予定でしたが、数々の弊害により断念*8
そこで、千里山~淡路~十三の路線と、淡路~天神橋の免許*9を持っていた北大阪電鉄に目をつけ、これを吸収することで、ひとまず天神橋まで開通させることにしました
ここで
京都方 大阪方
の二本の京阪連絡線が開通することになりました
その後も京阪梅田駅を作るために何度か奮闘するものの、昭和恐慌や大阪市の妨害により、梅田乗り入れはおろか、新京阪線と京阪本線の接続すらできない状態に
続く不況の中、現状維持の日々を送っているうちに、日中戦争、太平洋戦争へと突入
お国の命令により、京阪と阪急が統合し、「京阪神急行電鉄」に纏められてしまいました*11
そして戦後、再び京阪と阪急に分かれる際に、かつての新京阪線・千里線・十三線・嵐山線*12は阪急に奪われ割譲することとなりました*13
こうして、現在は阪急の路線として、今もマルーンの車両が走っていると言うわけです
(河原町延長は阪急割譲後ですが、免許自体は京阪時代に出されていました)
こうやって京阪サイドで見てみると、せっかく牽制のために引いた路線が、戦後のゴタゴタで結局他会社の路線になるというのはなんとも虚しいもので
(そして消えた、梅田乗り入れのチャンス)
おまけにこの後、近鉄との奈良電鉄争奪戦でも破れ、京都駅直通の夢も散るわけですから
大阪の大手私鉄で唯一、キタ(梅田)にもミナミ(難波)にも京都にも乗り入れできていない会社*14ですが、こうやって見てみると、なんとも運の悪いと思う次第で
(まあ、金のやり繰りが上手くいっていれば、というのもありますが)
さてさて、「そういや新京阪線ってなんとなくしか知らないなぁ」と思い調べてみたことが発端で、ここまで大きく逸れるとは
さすがに前置きってレベルじゃないですね…
でもあえて言いましょう
これから本編であると
まあ、元から一回で終わらせるにはちと長い量だったので、今回少なめ、次回多めでいけばなんとかなるでしょう(
さて、そこの顔面蒼白の皆様、覚悟はよろしくて?( (
では、どうぞ
2016年3月9日
メトロで大阪ワープ
始まりがあれば、終りもある
というわけで、長かった(?)卒業旅行もいよいよ最終日です
この日の朝も、あいも変わらず食べ放題なのを良いことに、贅沢にご飯に納豆と卵をかけて頂いていました
そして出発
深夜アニメ見たり、ホモベッド回避争奪戦繰り広げたり、洗面所とトイレが一緒だったために、歯磨き中に以下略など、色々あったホテルをチェックアウト
(一人旅では味わえない、濃度の濃いお宿)
モーター好きとメープルくんは、病み上がりのてっちゃん氏を連れ、リッチに東海道新幹線に乗り込み帰阪
(てっちゃん氏が快調でも、絶対新幹線でビュンしてた)
そして残された私と223系好きの手には、2枚の青春18きっぷ
さあ、後半戦の始まりですーー
[渋谷]行き
せっかく東京に来たのだから、ということで東都の地下迷宮へ
そして京橋からは学都市に乗り換えて、一気に帰宅
いやぁ早い早い
だったらいいんですけれどね
どっかで丸ノ内線に乗り換えて、やってきたのは新宿
ここからは素直にJRに…
乗らないんですよねぇそれが
ここからは、本日10巻が発売されたAチャンネルにも登場する、京王に乗車です
何気に、記念すべき初の関東大手私鉄が京王になりました
(中小含めるとひたちなか→鹿島臨海→京王、前回は私鉄には乗らず)
[特急]京王八王子行き
この日は平日、京王名物のダンゴ渋滞にゲラゲラ笑いながら揺られていたのを覚えています
成績下がるヶ丘↘↘😩😩
[各停]高尾山口
北野駅でお乗り換え
大阪モノレールをなんとなく彷彿とさせます
そして高尾に到着
(まあ、いつか高尾山に登山するってことで)
さて、東海道本線経由で帰るなら、このまま八王子まで行って相模線ですが…
そんなわけがなかろう
[普通]甲府行き
東海道本線では飽き足らないドM向け、代替ルートです
まあ、行きは東海道だったから、帰りは中央だよねぇぐらいの感覚
西進、中央本線
静岡地区の茶畑を消して、標高を高くしたような光景が広がります
なんかいた
奥には渋いカラーも
富士急もいろいろな会社の寄せ集めなので、結構興味はあります
関東土産をお供に
マッ缶一本で一回です
ぐんぐん上がる標高
そして甲府駅へ
駅の向こうにはブドウ色の64
Twitterで見てみたら、消えてたんですね、この色
駅前
よく見る大きめの駅前
駅前にある大きな公園
お城ですね、はい
甲府城跡です
ここ甲府は武田氏の時代から中心的な場所として栄え、武田氏滅亡後にこの甲府城が築かれました(誰が一番最初に築いたのかはよくわかっていないそうで)
遺構の類が石垣ぐらいしか残っておらず、天守閣再現プロジェクトが立ち上がっているものの、そもそも天守閣があったのかどうかすら曖昧というのが現状だそうで
実現すれば、富士山と天守の2ショットも見られるんですかねぇ
余談ですが、意外にも御城のゲームには実装されていないんですよね、このお城
追記(20/3/27)
20/3/24にやっと登場しました
本日は、近日新しく登場する予定の
— 千狐(城プロRE公式アカウント) (@ShiroPro_STAFF) 2020年3月23日
城娘のイラストを先行公開いたします!
★7 甲府城
「悪に満ちたるその心、僕がし~っかり清めてあげるからね♪」#城プロRE pic.twitter.com/RJgfOgzfXG
ちょうどこの鉄塔の向こうに聳えている山々の向こうから富士山が顔を出しているはずなのですが…
富士山どころか、手前の山すら見えないですね
(第三回富士山チャレンジも失敗)*15
とまあ、今回はここまでと致しましょう
(前座:本編=3:2ってどういうことよ)
次回はご察しの通り、中央本線をずいずい西へ進みます
(まあ、飯田線経由とかいうキ◯ガイ選択肢もある訳ですが)
ただ乗ってるだけじゃ終わらない中央本線
そこには、東海道本線経由では味わえないポイントも
乞うご期待
では以上