水無月のチャリンコ上洛旅 ~その3 えいでんタイム / 京都、それは歴史の宝箱~
どうも、連休が明けてもイマイチ気合が入らない既望路です
朝とか起きれないよ、うん
授業の方は好きなのばかり選択したので、内容的には苦ではないのですが、それでも疲れるものは疲れますね…w
(観光客が騒がしい時の特急とか、観光客が騒がしい時の市バスとか、観光ky)
何だかんだでいろいろな場所へ出かけることになった連休、多分5月連休で色々出かけたのは初めてではないでしょうか…
まあ、ほぼほぼ大阪メトロでしたが
さて、それだけメトロで過ごしたのだから、さぞスタンプもたくさん、もう2周目ぐらい行っていてもおかしくないぐらいではないのでしょうか…
進歩(旧川崎貯蓄銀行大阪支店)
全然(四天王寺)
ダメです(通天閣 令和ver)
ほとんど名所散策に(大阪市中央公会堂)
うん、せっかく降りるんだから色々見て回りたいよねっていう
(ネモフィラに至っては、こっちがメイン)
半分以上は集まっているので、5月中完走(希望)でぼちぼち回っていこうかと思います
・・・
似てませんか、はい
というわけで、早速本編へと移りましょう
(トータルであと4万枚ぐらい… 勿論選別しますが)
まあ、大事なのは追いつく追いつかないではなく、今を歩むことです #などと
前回はこちら、東寺見て、市電見たお話ですね
それにしてはスケール小さい割に濃度が濃い? いつものことです
そんなカルピスの原液レベルの記事でしたが、今回はちゃんと水で薄めたものを提供できそうです
では、どうぞ
えいでんタイム
やってきた先は出町柳
観光客で賑わうスポットの一つですが、意外と治安が悪い鴨川デルタ…
集団で屯してガン飛ばしてくる連中がいるのは勿論、白昼堂々の窃盗や、他人に怪我を負わす輩もいるので注意です…
BBQセットと秘伝のタレ持っていくから覚悟しとけよ???
そんな私情は置いておいて
出町柳の駐輪所に自転車を一度置き…
叡山電鉄に乗車です!
過去に何度かご紹介しましたが、叡電は観光列車「きらら」との繋がりで、芳文社の「まんがタイムきらら」とちょくちょくコラボしています
今回も例に漏れず、きらら系列の「NEW GAME !」とのコラボです
叡電側のロゴも毎度凝られています…w
京都良いとこ!
(ただしトンビがいなければ)
オリジナルヘッドマークも提出での運行です
車内の至るところにラッピングが施されています
宗次郎代われ
ドアステッカーもオリジナルのもの
さすが叡電さん、いい仕事してます
(叡電「細部まで頑張るぞい!」)
そして発車、見送ります
駅のホームには特製パネル
きんモザのコラボパネルと一緒に飾られています
駅のホームには特製の旅日記
誰がここまでやれと言ったレベルの気合の入れよう
そして…
電車が来ました
間違えました、こっちです
(ヘッドブレイクチュンチュン伏線回収)
こちらも特製HM
エアメール調が素敵
お ま た せ
い つ も の
職 人 芸
おまけに特製スタンプまで作っていた叡電
車内も当然
これ乗りながら通学したい
よくよく見ると叡電仕様に改変されてるドアステッカー
ざっと5.6kmです
よくよく見ると左隅に宣伝
700系は定員86人と少なめ
スルかん投入口
なんだかんだで過去の遺産となりました
未だにICOCAすらほとんど使わない現金人間なので、当然スルッとKANSAIも買ったことがなく
記念に一枚ぐらい買っときゃよかったかなとも
好き(直球)
修学院で降車しましたナス
きんモザポスターが出迎えてくれました
対向列車はさっきのNEW GAME!車
アニメ化まではあと一年ほど
出町柳まで戻ってきました
難民鳩付けた叡電車
コラボ車の車内も見れたので、自転車を回収し再び散策開始です
苦い檸檬の匂い
やってきた先は寺町二条の一画
寺町二条といえば…
『檸檬』の一節に「とうとう私は二条の方へ寺町を
なので、この寺町通の二条通角がその果物屋があった場所だと言われています
(既に閉店してしまいましたが)
果たして「えたいの知れない不吉な塊」が何だったのか、精々ラノベぐらいしか読まない人間にはイマイチ釈然としませんが、それでもなんだか綺麗な文章ですよね…
何故 だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗 いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕 んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀 が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵 があったりカンナが咲いていたりする。
時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団 。匂 いのいい蚊帳 と糊 のよくきいた浴衣 。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希 わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
青空文庫からがっつり引用ですが、このフレーズがなんとなく好きです
なんだか、暗く重い雰囲気だからこそ輝く何かってありますよね…
儚いというかなんというか
(瀬田薫かお前は)
まあそんな、あの日の悲しみやらあの日の苦しみやらのエピソードを背に、次の場所へ自転車を走らせます
次は寺町三条?
残念ながらそちらはノーマークですね(
第六天魔王の焙り焼き
訪れたというよりかは、たまたま見つけたこちらのお寺
そう、あの信長BBQで有名な本能寺です
(解説不要でしょうから詳細は割愛)
といっても、寺自体は当然燃えていますし、場所も秀吉時代の時に移転しているんですけれどね
油小路蛸薬師の辺りに「本能寺跡」という場所があるので、実際に信長が焼けた場所を訪れたい方はそちらへ
圧倒的雑コラ感にウケた僕さ
信長焼いて天下フィーバーした明智光秀でしたが、中国から物凄い勢いで帰ってきた豊臣秀吉一行*1にやられます
結構有名な事件ですが、なぜ暗殺されたのかは未だに不明だそうで
(明智光秀の野望説から黒幕存在説まで色々)
もう少しあてもなく散策
四条河原町は今日も平和です
「先斗町」
せんとちょう…?
これで「ぽんとちょう」だそうで
事あるごとに脱線しているせいで、既出のネタかどうか分からなくなったお爺ちゃん
自転車で走る道ではないので、覗くだけ
カップルが等間隔で設置されていることで有名な、三条大橋~四条大橋
淀川渡って大阪湾まで出荷予定です
生まれたばかりの市バスは初めて見たものを親だと思い込み、どこまでもその後ろを付いていきます
生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの京阪バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの京阪バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの京阪バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの京阪バスは生まれたばかりの市バスは生まれたばかりの京阪バスは…
原因はご察し下さい
(全く迷惑なもので)
祇園・岡崎散策
「巽橋」
祇園四条から東へ北へちょろちょろと進むとある場所
今ではインスタ映えスポットとして色々と(意味深)大人気です
早朝に行けばワンチャン静かな光景が見れます
(らしんばんの袋が見えますね)
巽橋から東へ
やってきた先は「知恩院」
浄土宗の総本山、一番のお偉いさんです
この三門は二代将軍秀忠が寄進したもので、国宝に指定されています
【ナムいフォトコンテストやります!】
— 知恩院 (@chion_in) November 2, 2018
今年のライトアップはフォトコンテストを開催します!手順は3つ。①ライトアップにおまいりして、②インスタアカウントをフォローして、③「#知恩院」「#ナムい」のハッシュタグをつけて投稿。賞品もあります!詳しくはこちら!https://t.co/BxZCIxge2j
秋にはライトアップもされる、東山エリア屈指の観光地です
(血迷う知恩院)
「知恩院三門」から神宮通を北へツイーっと
「平安神宮大鳥居」
高さは24mと、名古屋の豊国神社にある鳥居と同じぐらいだそうで
平安神宮そのものについてはこちらですね
直接飛びたい方は下のちっこいURLをクリックして下さいな
もうええわ、って方はそのまま下へスクロールして下さいな
100年前の遺構、100年ぶりの復活
更に移動して南禅寺
詳細はry
明治初頭の「京都活性化プロジェクト」で作られた琵琶湖疏水の分水路です
南禅寺の境内を跨ぐため、雰囲気を壊さないように少し落ち着いたデザインとなっています
(これがまたエモい)
コニチワ―
今ではインスタ映えスポットとして地鶏女子が常に張り付いています
ガチでスバラシ Never Ending Girls' Song
新緑の時期が好きです
(らしんばんの袋破けて、別のビニール袋に入ってる)
正式名称は「斜拱渠(しゃきょうきょ)」らしく、鉄道路線などの下を斜めにトンネルや川がくぐり抜ける際に、強度を上げるためにねじってレンガを積む形式だそうで
中は不思議空間です
線路ナウ
こちらは「蹴上インクライン」
明治初頭に作られた琵琶湖と京都市街を結ぶ「琵琶湖疏水」には、人や物を載せた舟がかつて通っていました
ただ、この蹴上の区間などは勾配が激しく、舟が上り下りするにはちと厳しい場所だったので、併設した線路を使って舟を上げ下げしていました
(ちょうど写真の後方に移っている形で)
一時は多くの人を載せ、大津と京都を結んでいた舟でしたが、やがて京津電気鉄道(現:京阪京津線)が開通すると徐々に廃れていくようになり、1915年に人を載せた運行が終了となりました
それから100年と少しが経過し…
再び琵琶湖疏水を人を載せた舟が行き来するプロジェクトが始動しました
大津~蹴上で4000円
なかなかなお値段ですが、いい経験にはなりそうです…
川端通の東(四条~五条)を通る、宮川町の町並み保存地区
安土桃山時代から続く花街で、現在でも明治大正以前の遊廓だった建物が残っているそうで
来月頃にはあじさいが咲き始める季節でしょうか
水の月と書いて「水
旧暦の6月は今の7月に辺り、田んぼに水を引き始めることから来たそうですが、新暦の6月も梅雨ということで、なんだかんだで「水の月」なのが面白いですね…
せっかくなので、どこか紫陽花の名所に出かけてみるのも良いかもしれません…
阪神高速8号線の上鳥羽入り口
ここを通れば、無駄なアップダウンもなくスムーズに帰れるのでしょうが、通行料に命を取られかねないので、大人しく下道を通って帰ります
近鉄特急がガタンゴトンと鴨川を渡る
午前にあそこの踏切を渡ったなぁと思いながら
夏に近くなっても流石に20時になれば日は落ちる
下がったり上がったりの第二京阪沿いを、ペダルいっぱい踏みしめて京都を後にする
この坂さえなければ京都も近くなるんですけれどね…
さて、次にこの坂を登るのはいつの時か…
というわけで、これにて水無月のチャリンコ旅編、終了になります
皆様、お疲れ様でした(
脱線が大して無かった分、平坦な気もしますがこんなものでしょうか…?
と言っても5000字はあるので、何だかんだで何時も通り
・平安遷都と東寺
・安土桃山の反逆
・江戸の水路開拓
・幕末の騒動と戊辰戦争
・明治初頭の京都改造計画
今回も多くの余談、脱線をかましましたが、大体まとめておきたかったことはまとめられた気がします
「京都」と聞くと、なんとなく「平安時代」というイメージがありますが、そこから1000年、そして更に200年常に歴史の舞台となり続け、京都にはそれらの歴史の足跡が何らかの形で残り続けています
建物時代は江戸時代の再建がほとんどですが、その歴史は平安、鎌倉、南北朝…と様々な時代を原点に持ちます…
そんな意味でも、京都は「歴史が生きた街」なんだと感じます…
探せば探すだけ、色々な時代の足跡が見つかる
そんな京都の街は、歩くだけでもひとつの宝探しです
それが私が京都に魅力を感じている理由の一つになります…
今回はそれをなんとなぁく感じ取っていただければ幸いなことこの上ありません…
さてさて、では次回予告といきましょうか
次回は恐らく、近場の散策記になりそうです
脱線要素も特に無い、淡々と写真が流れていくだけの、そんなスタイルかなと
5月も半ばに入り、色々と追い上げの時期に入ってきたので、下手すりゃ夏までお預け… なんて可能性も無きにしもあらずなのが現状…
まあ、精進しますということで
(色々と)
こんなもんでしょうか
では、以上!