新春の京の都に魅せられて ~その2 鋭敏な羽ばたきと正体不明の正体、寄せ集めで向かう大宰府に散る梅 ~
どうも、冬休みという名のボーナスタイムに突入し、この二週間を如何に過ごそうかと考える既望路です。
冬休みの何が良いって、寒い中、学校に行かなくていいことですよね
京都は盆地が故、気温が大阪より低いです…
(そして夏は大阪より暑いとか、なんの試練だよ)
夏休みとは違い、バイトも無いのでゆっくりと過ごせそうです…
え?その机に隅に追いやられた履歴書?
それに、一緒に添えられた不採用を告げる手紙は何かって…?
人生には、己自信で悟らなければならないことがいくつもあるのです…
ともあれ、お金はありませんが、時間はあります。
お金のかからない冬休みを過ごそうかと思います。
(誰かから誘われることもありませんからね)
私にできるお金のかからない過ごしかた
ということで、更新へと参ります。
(ん?電気代がかかっているじゃないかって? そんな難癖付けるんじゃありません)
前回はお稲荷さんへ初詣に行った話ですね
やっと二年遅れを切ったかと思いきや、またまた近づいていますね…w
クリスマスも終わり、リアルタイムでも新年色に染まっております
(TLはコミケのお品書きがほとんどですけどね)
今年は持っている小説や本をリスト化するという作業をして過ごしていました(
小説、漫画共に約150冊、計300冊と、気が付きゃ200冊ほど増えていました(
これからもどんどん増える予定というのがなんとも恐ろしい
話が逸れました…
(いつものこと)
今回はその伏見稲荷の続きからですね
では、どうぞ
三条駅は京都通学を始めてからは度々お世話になっていますね
(主にBOOKOFF)
川端通りから鴨川を渡り、河原町通を経て寺町通りへと参れば、とらのあなやメロブなどその手の店が並んでいます
地下鉄東西線で一気に西へ
つまり、二条城前駅ですね
ここで降りてどこへ向かう?
そりゃ、二条城しかないd… あれぇ…?
いつも観光客を出迎えてくれる東大手門が閉鎖中…
どうやら修理中だそうで
では二条城には入れないのか…?
というと、そうでもない
案内に従い、堀をぐるり
北大手門が開いていました。
現在、二条城に入れる入り口は二つ
一つが先ほどの東大手門
そしてもう一つが、この北大手門です。
(あとの南西二つは、堀を気合で飛び越えなければなりません)
通常、東大手門が入り口となり、この北大手門は閉鎖されています。
ですが、先ほどの改修工事のため、臨時でこの北大手門が開けられたそうで
貴重な北大手門をくぐる
この北大手門が一般に開放されたのは二条城史上初めてのことだそうで…
そんな貴重な体験をして、いざ城内へ
二の丸御殿
二条城自体はこれで二回目です
Let's take a trip! ~Treasure box of history~ - 既望月を眺めながら…
一回目の探索はこちら↑
細かい経緯は上の記事をご覧ください(
この二条城、江戸時代に建てられたもので、将軍の京都上洛時の別荘として使用されていました。
(ここで催しなども行われていました。)
大政奉還が行われた場所でもありますね
そして、この日もここ二条城である催しが行われました。
それがこちら
(目が半開きで申し訳なかったのでぼかしています。)
鷹狩です
(放鷹術とも言うみたいですね)
丁度、初詣に行った日にやっていたので、観に行こうということになりました。
鷹狩と言えば、この二条城を建てた徳川家康の趣味の一つでもありました。
まあ、鷹狩自体家康に限らず、多くの武将に親しまれていました。
(鷹狩、それは今どきの武将の嗜みの一つでもありますわ)
ただ、家康は鷹狩をただの気分転換の一つとせず、心身を鍛える方法として捉えていたようで…w
鷹狩も見方によれば、一種の健康法になりますね
そんな鷹狩沼の家康さん、最期の時も鷹狩に出かけた先で倒れたそうで
そんな家康をはじめとする武将たちに愛され、守られてきた鷹狩を少し眺めて行きます。
イヌワシでしょうか?
トンビと違って、イケメンですね(
イヌワシとどこかの半妖みたいな名前ですが、この"イヌ"は「劣った」という意味らしくて
(クマタカと比較して)
一緒に見ていた223系好き氏も興味津々の様子
爬虫類や虫などの生き物に精通した彼であれば、もう少しネタが出てくるのでしょうかね
(最近はクワガタを飼い始めたらしくて)
羽を広げた姿もまたカッコいい
ただ、動きが速く、ピントが合う前に去ってしまうのがほとんどです…w
鳥を撮影するのも中々至難の業ですね…
キリリとした眉が渋い彼
オオタカでしょうか?(Wikipediaでそれっぽい鳥の写真を見ながら)
ちょっと止まってくれませんかね…(
超高性能一眼レフならもう少しマシなものが撮れるのでしょうか…?
5年前から使用しているデジカメさんもそろそろ寿命が近づいてきているので、そろそろ新型君が欲しいところです…
かっこよく撮れた
ですが彼はトンビ
バターロールの恨みは晴れません
トンビは間抜けな顔をしているように見えるのは、私だけでしょうか…?
こんな顔して、他人のバターロールを搔っ攫うのだから恐ろしい
空飛ぶヘリは撮れましたが、空飛ぶ鷹は撮れず
気に泊まる鷹さん
根元が黄色い嘴の彼はイヌワシ…?
凛々しい目線で臨む先には何が映っているのでしょうか…
そんな美男美女を写真に収め、次なる場所へと進みます
容姿も良いですが、飛んでいる姿がまたカッコいい
そんな彼らの鋭敏な羽ばたき、ぜひ実際にご覧になって下さい
鷹狩を見終え、向かった先はこちら
二条城の本丸です。
言わば、お城の中心ですね
前回訪れた時には時間切れで、ここまでは行けませんでした
というわけで、今回はそちらを重点的に探索しようと思います。
高く聳える石垣
時代劇の1シーンのようなアングル
(時代劇はほとんど見ませんが)
元々、家康が建てた時にはこの本丸はありませんでした。
現在の二の丸が旧本丸で、この本丸が現本丸
この本丸が作られたのは3代将軍家光の時代
後水尾天皇が二条城にやってくるということで、立派な本丸を作ろうということになりました。
天皇の滞在は5日間に渡り、その間この城は賑やかな歌や踊りに包まれました…
その後、この二条城はしばらくの間将軍を迎えることがなくなり、次第に廃れていきました。
挙句、落雷で天守は焼失、御殿や隅櫓も天明の大火により焼失しました。
ここに建っていた天守を一度見てみたかったものです
(ここに限った話ではありませんが)
こちら、天守が建ってた場所(多分)
今は何も残っていません
本丸に佇む、本丸御殿
この本丸御殿の正体は、旧桂宮邸
桂宮という宮家の家で、徳川とは関係のない建物です。
宮家とは何ぞ、というと私も苦手なところなのでよくわかりません(
(伏見宮や有栖川宮、閑院宮などなど…たまに目にするんですけどね)
本丸も一通り見終わったので撤収
次に来るのはいつでしょうね
この江戸幕府始まりの地であり、終わりの地でもある二条城
JR山陰本線の二条駅からも容易にアクセスできるので、興味がある方は是非どうぞ
大政奉還諮問の地である二の丸御殿は一見の価値がありますよ
坂本龍馬と後藤象二郎が山内豊信を通して徳川慶喜に政権の返還を勧め、大政奉還の上表を提出したのが10月14日
岩倉具視が薩長と手を結び、徳川慶喜を討伐しようと動き始めたのが同じく10月14日
龍馬たちの行動が少しでも遅れていれば、慶喜も徳川家最長命の座に就くことはなかったかもしれません…*1
京都江戸時代ゾーンの一つである二条城*2を後にし、私たちは徒歩で移動
次に向かった先は二条城の北にあるNHK京都放送局
ここでテレビ局の見学?
いえいえ、お目当てはこちらです
NHKの隣にある小さな神社
その名も「鵺大明神」
隣には鵺池もあります。
さて、その鵺とはなんぞ、なぜここに鵺が?
という方もいらっしゃることでしょうから、説明いたしましょう
どうぞ(おい
説明書きがありましたが、見えづらいと思うので、軽く説明しましょう。
Q.鵺 #とは
A.平家物語などの書物に登場する架空の生き物。頭が猿、体はタヌキ、手足は虎、尻尾が蛇の生き物(文献により違いはある)
鳴き声が大層不気味で平安時代の人はこれを恐れたとか
因みに、その鳴き声の正体はトラツグミと言われています。
Q.なぜここに
A.昔々、平安時代の末期に、毎晩現れる不気味な黒い煙と鳴き声に怯えていた天皇がいました
二条天皇は怯えるあまり病にかかり、薬も祈祷も全く効きませんでした。
彼は先祖の源頼光*5より伝わる弓矢を片手に、討伐へと出向く。
すると御所に例の黒い雲が出現、頼政がこれを弓で射ると鵺は現在の二条城の北の方へと落下。
落下した鵺に家来がとどめを刺し、無事討伐。
二条天皇の体調もたちまちに回復し、頼政は天皇から獅子王*6という刀を授かりました。
その刀は彼の子孫、播州赤松家から赤松広秀の切腹を経て、徳川家康へ
その後は徳川家臣の元で代々受け継がれ、明治時代に天皇の元へ
現在は東京国立博物館に収蔵されいるらしいです。
少しそれましたが、その鵺を射た矢を洗ったのがここの池とされています。
日本でも数少ない、鵺ゆかりの地
ではなぜ、わざわざ訪れたのか?
もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが…
(画像は色々と厄介なので、こちらから拝借)
鵺がモデルになっている彼女の聖地のひとつとされています。
ええ、ただの東方聖地巡りです…w(
東方の聖地というとどうしても諏訪のイメージが強いですが、京都や大阪にもゴロゴロと転がっているものです…
元々歴史上の人物や、生き物、神様をモチーフにしたキャラやスペカが多いので、必然的にこういう遺構や神社は聖地になりますね…w
(え?咲夜さん…? えっと… 佐世保の紅魔館ぐらいでしょうかね?( ( )
見方を変えれば案外、色々なものが聖地になるものです…
何気ない交差点も、一部のファンの間では神聖なる聖地だったり…
(神聖なる交差点については後々の記事で紹介しましょう…)
そんな隠れた聖地についてもちょっとずつ紹介できたらいいですね
という訳で、本編へと戻りましょう。
ぬえちゃんを拝んだ後は、再び駅へと戻ります。
途中通り過ぎた五芒星を乗せたタクシー
どこの会社かまでは分かりません…
五芒星に「明」の文字
晴明神社に関連した五芒星のようにも思えますね
再び二条城の外堀へ
西門だったと思います(
重要文化財「西南隅櫓」(多分)
南門(消去法)
大正時代に作られたらしいです。
御城のまわりをぐるりと回ったところで、再び地下鉄に乗車です。
向かった先はレモン色のホームドアが眩しい終点、太秦天神川
付近には天神川という川も流れています。
将来的には太秦天神川から更に西、長岡京の方まで伸ばす予定だったみたいですが、なかなか厳しいようで
(京都市営地下鉄は色々問題があって、結構苦しいんですよね…)
ここから江ノ電に乗って、少し鎌倉へ…
この嵐電と東の鎌倉を走る江ノ電は2009年に姉妹提携をしました。
同じ観光地を走る路面電車ですからね
車内の板も姉妹提携仕様に
ちゃんと、江ノ電塗装で描かれている辺り、芸が細かいですね
(といっても、元塗装がほとんど江ノ電)
車両にも可愛らしいHM
後ろ側には616号車が連結されていました
嵐電100周年記念の一環として、塗装が京紫になっています。
先ほど乗っていたのがモボ631形、こちらはモボ611形
似たような顔なのに、別形式なのがややこしい
(どこの近畿日本鉄道だ)
この二形式にモボ621形を合わせた3形式
彼らは旧車両のモボ111らを置き換えるべく製造された車両
そこまではいいのですが、経費節約のためなのかパンタやら台車やら機器やらを、この置き換える対象であるモボ111らから流用しています。
もう半分以上旧車両じゃないんですかね()
初め、1990年にモボ621形がモボ121形から機器という名の魂を受け継ぎ登場
ええ、番号はモボ611形の方が浅いのに、登場はモボ621形の方が早いんですよね
(ややこしい)
その2年後にモボ111形の魂を受け継いだモボ611形が登場
121から受け継いだから621、111から受け継いだから611
うん、わかった
更にその3年後、モボ131形から魂を受け継いだのがモボ631形
と言いたいところですが、そうはいかない迷列車(?)
こやつの置き換え対象はモボ131形ではなく、ク201形なんですよね
(そもそもモボ131形なんてものはいない)
『ク』です。クモハとかの"ク"です。
つまり、路面電車のくせに制御車なんですよねこの子
大体の機器はこのク201形から流用すればいいのですが、モーターやら制御装置やらは別の所から持ってこなくてはなりません。
ではどこから?
モーターは丁度モボ621形の物が余っていたのでそれを流用
なぜ余っていたかって?
モボ121形は制御車のク201形を引っ張るために、モーターを通常の倍である4個積んでいました。
でもモボ621形は4つもいりません。
ということでモボ631形は見事、モーターをゲットすることができました。
続いて制御装置
これは叡山電鉄さんが丁度廃車にしていたデナ21形の物を流用
無ければあるところから持ってくればいいだけの話
こうしてク201形の機器を大方流用しながらも、モーターはモボ121形から、制御機器はデナ21形から流用した寄せ集め新型電車ができました。
ただ、流石に他所から引っ張って来た機器は嫌だったのか、2008年に新型の制御機器に交換されています
モボ611形はモボ111形から
モボ621形はモボ121形から
モボ631形はク201形から
うん、これですっきり
でも、同じくモボ111形とモボ121形の機器を流用したモボ501形という形式もいるもんだからやっぱりややこしい。
お古の流用大好き嵐電(蹴
ちなみに、一両だけ生き残っているモボ301形は制御器を叡山電鉄から制御機器を、今は亡き京都市電から連結器を拝借しています
まあ、そんなお古だらけの嵐電ですが、京都で吊り掛け駆動を走らせているのもここぐらいでしょう(きっと)
(阪堺もゴロゴロ走っているみたいですね)
こうして戦前車両の魂を受け継いだモボ621形をはじめとする車両たちは今日も、京都の町を駆け巡っています。
と、慣れない鉄道系の脱線をかましたところで、本線復帰
ウィキペさんとその他のサイトをあたるも、やはり限界はあるようで
やはりその手の情報誌が必要ですかね
(そもそも抵抗制御についてイマイチ理解できていないやつが話深めようとしても、いつかぼろがでる)
帷子ノ辻からは615号車に乗車
こちらも100thカラーです
(シールもちゃんと対応させてありますね)
吊り掛け駆動音に包まれ、ゆっくりと北上
春には桜並木になります。
元は「御室」でしたが、最近「御室仁和寺」に改名
(改名は嵐電のほうが一年早い)
(え?月200時間の残業?)
明治時代までは皇族が住職を務めるという位の高いお寺でした。
そんな仁和寺や臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺、石庭で有名な龍安寺を通りすぎる
列車は終点、北野白梅町へ
パンタグラフも流石に交換しているようで
駅を出ると賑やかなバスが走っていました。
京都市バス100周年を記念して、5色のラッピングバスが登場しました。
これはそのひとつで、烏丸営業所所属のもの。
他にも
・赤 ~不死鳥の如く甦る公営交通~:西賀茂営業所 (修三バス)
・青 ~川から海へ流れる清流~:烏丸営業所
・黄 ~竹取物語の京・まち・むすめ~:錦林出張所
・緑 ~観光都市京都~:九条営業所
・桃 ~さくら舞い散る古都京都~:梅津営業所
たまに見かけますが、まあ見れたらラッキーですかね?
京都へ来た先は、少し探してみるといいかもしれませんね
あと、余談ですが
京都市営にはこれ派とは別に、Happy Busというバスがいます。
京都市営唯一のゾロ目ナンバーらしくて(本当かどうかは知りませんが)、西賀茂営業所所属の[京都22 か6666]がこれに当たります。
見て楽しめ、乗っても楽しめる
そんなバスらしいです。
こんなの
これも一台しかいないので、見れたらラッキーですね
ですが、次の春に引退するという噂も聞くので、気になる方はお早めに。
さてさて、一体どこのいろは坂だよというぐらいに逸れまくっていますね
話しをグイッと元に戻します。
終点北野白梅町から歩くこと数分
北野天満宮に到着です
元々、嵐電北野線がこの北野天満宮前まで伸びていたのですが、京都市電今出川線開業に伴い廃止されました。(文字通り道を譲ったという感じですかね)
今出川線は銀閣寺の前である白川通今出川から、百万遍、加茂大橋(出町柳駅前)、烏丸今出川、千本今出川、北野(北野天満宮前)、白梅町(嵐電はお乗り換え)と今出川通を東西に走る路線でした。
今はもう廃止されてしまいましたが、京都市バスの203系統が今でも白川通と西大路通りを今出川通を通って結んでいます。
京都にはちょくちょく二車線の通りがありますが、そこは大抵市電が通っていた後です。
詳しくは2015年6月の記事でお話しましょう(
さて、またまたやってきたヘアピンカーブを抜けて、本線復帰
北野天満宮の楼門
羊の絵馬が掲げられていますね
確か今年は鳥でしたね
年賀状は犬猫の鳥飼ひばりさん辺りを悩みましたが、そもそも知っている人がいないので、ローソンのからあげ君とクリスマスに撮ったチキンにしておきました(
天満宮自体が菅原道真を祀る神社で、他にも太宰府天満宮や防府天満宮、湯島天満宮などが挙げられますね
さて、菅原道真とは誰じゃいという方もいるかもしれませんので、軽く解説へと参りましょう( (
この菅原さん、元は平安時代の貴族でした。
平安時代、それも藤原北家が徐々に力をつけ始める非常にドロドロとした世界
藤原氏は天皇家との結びつきを強める一方で、他の貴族たちを蹴落としていました。
大伴氏が源氏を蹴落とすため、応天門に火をつけた「応天門の変」もこの頃に起きました。(こちらで一度触れましたね)
そんな時代に生きた菅原道真
子供のころから勉強ができ、その学力をもってグイグイと出世していきました。
時の天皇、宇多天皇に信任されるとますます出世し、最高幹部の中にまでその名を連ねました。
この宇多天皇は藤原氏と近い親戚関係ではなく、なるべく藤原氏を牽制しようとしていました。
そこに用いられたのが菅原道真で、いわば藤原氏への対抗勢力として重宝されていました。
余談ですが、日本から唐に遣わされた遣唐使の制度を停止させたのもこの菅原道真です。
当時の唐はすっかり廃れており、危険を冒してまで渡る必要はないと判断されました。
彼の時代に道真はとうとう、右大臣にまで昇格しました。
道真は中央集権的な政治を主張しましたが、これをよく思わないのが藤原氏(など)
ある日、菅原道真は「醍醐天皇を廃して娘の婿に継がせるべきだ」と発したということで、九州に設置されている大宰府という行政機関に左遷されました。
しかし、実際には道真はそんなことを言っていませんでした。
そう、道真の左遷を密かにほくそ笑む黒幕がいたのです…
(「くろまく~」)
彼は無実の罪で遠く離れた九州の地に追いやられたのです
左遷された道真は九州の地で寂しく暮らし、そしてついに京都に戻ることなく死亡しました。
これだけなら単なるBAD ENDの物語ですが、ここからが本題
道真が死んだ数年後、黒幕である藤原時平が突然の死を遂げる。
その後、道真左遷を企てた一人である源光が突然の溺死
更にその息子である慶頼王が突然の死
更にさらに、天皇の御殿である清涼殿が落雷で炎上、多数の官人が突然の死
それを見た醍醐天皇までが突然の体調不良、そして突然の病死
さて、なぜここまで災害が相次ぐ…
これはもしや誰かの呪いか…?
呪い、呪い… ハッ…!!
ま、まさかっ… これも全て道真の祟りというのかっ…!?
そう判断した朝廷は、道真の罪を免除し、右大臣の位を与えた。
そして、落雷事件のことから道真の怨霊を雷神と結びつけ、ここ北野の地に祀ることにしました。
そう、菅原道真の怨霊を鎮めるために建てられた神社、それがこの北野天満宮です。
初めは怨霊を鎮めるために祀られた道真も、生前優れた学者であったことから、いつしか学問の神様として祭られるようになりました。
そして今、この北野天満宮は多くの受験生から信仰を集めているのです…
さて、今回何度目の脱線でしょうか
文字数が5桁を越えようとしていますね(
続いて見えたのが中門(別名:三光門)
三光とは日・月・星を指しています
日と月と星
サニーとルナとスターですね
ええ、これで某三妖精が脳裏に浮かべば話は早い。
はい、ちょっとした東方要素でした(
奥には本殿
11日とは言えども、人が多いですね
ここで、志望校すら決まっていない中、来年に控えた受験のことを祈っておきました。
(どこに行きたいか迷うというよりは、どこにも行きたくないし、働きたくもないというのが一番近い正解でしたね)
無数に掛けられた絵馬にも、合格を願う学生たちによる願いが掛けられていました
ええ、はい
頑張ってくださいね(
境内にその蕾を伸ばす梅の木
菅原道真は梅をこよなく愛した人で、境内にもたくさんの梅が植えられています。
月の形が施された石灯籠
丸い形(太陽?)も見つかりました。
天神さんにお祈りをしたところで、次の目的地へ
ええ、まだまだ回りますよ
ここから地下鉄に乗り、しばし鉄道旅…
さて、地上に出ればどんな風景が待っているのか、次の目的地では何が待っているのか
以降の出来事は次回に持ち越そうと思います。
さて、やっと終わりましたよ中編
(次回が後編でありたい)
12月の23日当たりから書き始め、気が付けばクリスマスも大晦日も正月も過ぎていましたよ…
実に二週間かけての更新でしたね( (
話の中では4時間しか経っていないのに、記事にするとなんと11時間
1時間リアルタイム当たり20分ストーリータイムという計算ですね(
1時間綴って、20分しか進まない物語ってどういうこっちゃ
1/3しか経っていないですよ
エンドレスエイトといい勝負ってどういうことですか
(だからハルヒネタはもうry)
何でしょうか、ここだけゆっくりと時間が流れているのでしょうか
(ハルヒ的な何かの力なのか、それとも時間を操る程度の能力を持つメイドさんが… ハッ…!!)
はい、明けちゃいましたね新年
新年のご挨拶は次の記事の前書きに持ってこさせていただきます。
さてさて、一体いつ終わるんだという声が聞こえてきそうですが、もしかしたらそれは私自身の声かもしれませんね
語ればキリがないので、そろそろ次回予告を
散々小難しい話が繰り広げられ、疲弊してしまったかもしれない皆さん
早く咲夜さんを見せてくれと苦しんでいる頃でしょう…
(それはお前だろって? そうでしたね)
次回は鉄分とアニメ要素で埋まる予定です
(そして飯)
写真があと130枚ほどあることに驚きが隠せませんが、まあなんとかなるでしょう
(あれっ… 本当に次回で終わるのか…?)
あと4日経つと、めでたく再び二年遅れを迎える訳です
今まで二年遅れという刃におしりをツンツンと突っつかれ、ときにぶっ刺されましたが、またぶっ刺される覚悟をしないといけないようですね()
(おでんじゃなくておしりです)
3月(2年前の)に入ると遠征が山のように入るので、こりゃもう二年遅れの沼に堕ちる可能性が微粒子どころじゃないですね
まあ、冬休み中の更新完了は無理と断言しておきましょう(
更新に手は付けたいですけどね
十何時間にも及ぶ編集もいよいよ終わり
(この後に控えている文章の編集と見直しを含めると、まだ少しかかるようですが)
もう語ることもないでしょう(今回は)
記事を読んでいただけなのに、なぜか駅伝並みの体力を奪われてしまった皆さま、大変お疲れ様でした。
次回はもっと簡潔に済むよう努力はしませんが、密かに祈るぐらいはしておきます(蹴
皆さんも覚悟楽しみにして頂ければ幸いです。
では、以上