晩夏の古都サイクリングNo3 ~名誉と権力そして戦火、暗闇の中を駆ける風~
どうも、体調不良から回復した既望路です。
原因不明の腹痛に悩まされるも、結局何だったかわからないままどこかへ去っていきました(
とりあえず、空気感染はなさそうです。
(遠征時に素手で柿ピーを食べたのが原因か…!?)
本来ならもう少し前書きがあったのですが、消えました(
やっぱりこまめに下書き保存しないと恐ろしい目に遭いますね…w
というわけでさっそく本編へ
今回はがっつり脱線予告しておきますね(
まあ、とくに面白くもない話題かもしれませんが
面白くなるように努力は致しますw
そしてその向こうには…
では、どうぞ
朱雀門前の道路を東へ
県道1号線でしたかな、次の交差点で南下していきますが
南下する1号線を見送り、ひたすら道なりに直進、東へ東へ
鹿マークが可愛らしい奈良交通のバス
大型バスや旧塗装にも鹿マークがついていますね
そして祝日なので日章旗もヒラヒラさせています。
途中見つけたイトーヨーカドーで昼食と飲み物を購入。
そしてふと思った。
「自転車をここに止めたままにすれば、駐輪場代が浮くのでは…?」
私は歩き出しました、たった100円を惜しんだが故に
実際に街を歩く
これも乙なものです #などと
奈良中央郵便局にて
ここにも鹿さんがいらっしゃいますね
さすが奈良
しばらく東へ、そして交差点を南へ右折
その奥(写真でいう左隅)に見えるのが三代目奈良駅
元々、大和路線も桜井線も地上を走っていました。
しかし、旧奈良市街を分断していることから発展の妨げになるとして高架化が決定されました。
(地上時代は踏切で鹿がグモるなんてこともあったようで)
そして2010年(平安遷都1300年)に合わせて高架化されました。
私が初めて訪れたのが2011年
惜しいですね
駅前にいたセーラー服を身にまとったおっさんを二度見
再びさっきの道路へ戻り、東へ東へ
そういや駅前にスーパーホテルがありましたな…
みえてきたのは近鉄奈良駅
当駅始発の特急列車がバンバン発車する近鉄奈良駅
一色塗の国鉄車*1や元常磐線の改造車*2がバンバン発車するJR奈良駅
どちらの方が賑わっているかは一目瞭然ですね
これが奈良県内でのJRの立場です(
近鉄奈良駅を過ぎるとそこは奈良公園(どのエリアを奈良公園とするかは法によって異なるようで)
いっぱいいらっしゃいます
道路の向かいには奈良県庁も
興福寺といわれてもパッとしないかもしれませんが、結構凄いお寺なんですよ…?
起源は藤原鎌足*3の妻が夫の病気が治るよう祈って建てたお寺、山階寺 (だそうで)
その後、都の遷都と共に場所を転々としながら、藤原不比等*4の時代に今の奈良の地へ
あの藤原氏の氏寺な訳ですから、その力はとても強力
それでもって神 仏 習 合*5の流れで、近くにあった春日大社の実権も握るように
そこも
あの藤原氏の氏神が祭られている神社な訳ですから、その力はとても強力
そう、ついに興福寺はそこらの寺とは格別の存在になってしまったのです…
藤原氏の寺と藤原氏の神社、これら二つの力を手に入れた興福寺の力はそれはそれはもう絶大なもの
具体的には大和国(現在の奈良県)内のほとんどの荘園*6を手中に抑えてしまうほど
おっそろしいほどの力を持った興福寺、同じくおっそろしい力を持った延暦寺と共に「南都北嶺」と呼ばれることも
強大な力を持った彼ら、朝廷に対してなにか気に入らないことがあると、度々神木を担いで朝廷へと押し入ります
デモみたいなものでしょうかね
流石に神木相手では朝廷も手が出せません
(当時は結構天罰の類が恐れられていた)
次第に朝廷も天罰の類を恐れない武士を雇い、対抗するように
これが武士の政界進出の原因の一つだとか
この強訴も戦国時代辺りまで続いていたようで
(ex,延暦寺は織田信長の寺社領没収に納得がいかず、朝廷へ強訴)
とまあ、そんな凄いお寺です。
でも行ってません(
まあ、時間もあまりありませんからね
気持ちよさそうにお昼寝中…
実家のような安心感でくつろぐ鹿
なぜ鹿なのか?
一説によれば
「春日大社が創られる際、茨城にある鹿島神宮からタケミカヅチが神鹿に乗ってやって来た」
とのことで
そのため、昔から手厚く保護されています。
(誤って文鎮で鹿を殺してしまった子供が鹿の死骸と共に生き埋めにされた、なんて伝説も)
ポッテポッテと歩く鹿さん
眠たい?
寝起きの友人もこんな顔でした(
どこを見ても鹿、鹿、鹿
かゆそう
最近は「奈良の鹿愛護会」の資金不足が深刻な様子で…
余裕があれば鹿せんべいの購入を、ですね
やってきた先は東大寺南大門
現在のものは鎌倉時代に再建されたものです
(よく引っ掛け問題で出るのでご注意を)
これじゃ鹿の奈良観光じゃないか
ご覧の通り、鹿がいっぱいいます
そんな鹿に囲まれながら、東大寺を探索します
ここ東大寺は741年の国分寺建立の詔(by聖武天皇)で大和国の国分寺に指定されたお寺で、色々な天皇にも重宝されました。
当時、聖武天皇は混乱した社会を仏教の力で救おう*7と考え、743年に大仏建立の詔を出しました。
これによって、有名な奈良の大仏が造られました。
まあ、そんな歴史あるお寺な訳ですが、実は二回ほど燃えております。
しかし、それは以前から南都の寺院が持っていた特権を完全に無視したもの
自衛を目的に結成された僧兵の力で平氏政権に反発、以仁王*8と源頼政による出兵を機に、源氏と手を組み反平氏戦力へ
この後、近江で園城寺・大和で興福寺の僧兵が立ち上がり、伊豆に流されていた源頼朝も、信濃の源義仲も、各地の武士団も立ち上がり挙兵しました。
生まれも育ちも違う彼ら、だけど目指す先は同じ…
そう、それは… 打倒平氏ー
近江で起きた[平氏 VS 近江源氏・園城寺・興福寺]の戦いが原因で、平重衡は園城寺を焼き討ち
寺を焼き討ちとはさすが武士、肝が据わっておりますな
できるだけ穏便に済ませたかった重衡は部下にできる限り軽装にして奈良へ送る
それに迎え撃った興福寺衆は60人ほどの首を切り落とし、晒し首に
興福寺衆もパナイの
平和的解決の光は消え、戦いへ…
その戦いの最中、重衡軍が周囲の民家へ火を放ち*9たちまち火の足は寺々へ
有名な奈良の大仏も台座と下半身を残し燃えてしまいました
この後、東大寺諸々の復興に尽力をしたのが重源ですね。
まあ、そんな重源さんの努力で無事に姿を取り戻した東大寺ですが、次戦火に見舞われたのが戦国時代
元々近畿圏は細川氏から下剋上で政権を握った三好長慶が治めていました
しかし、その三好長慶が病死すると家臣である松永久秀と三好三人衆*10が主権争いで対立
ここから松永久秀と三好三人衆の戦いがちょくちょく起こるように
その戦いの一つが「東大寺大仏殿の戦い」
東大寺の北西1km程の場所にある多聞山城に陣を構えた松永久秀
東大寺の南西3km程の場所にある大安寺に陣を構えた三好三人衆
戦いをなるべく早く終わらせようと考えた三好三人衆は仲間の筒井順慶の協力もあり、東大寺へを陣を進める
東大寺側も順慶がいること、そして前々から久秀のことが気に食わなかったので、快く承諾
こうしてますます激しくなった両軍の戦い
松永久秀軍はとうとう奇襲を決意、東大寺に火を放ちました。*11
東大寺は忽ち燃え、大仏も頭が燃えてなくなりました。
(江戸時代になって復活)
このことを後、織田信長が徳川家康に松永久秀が行った3つの悪事のうちの一つとして紹介したとか
あんたも比叡山で同じようなことやったでしょ
最後は爆死したりと中々凄い人です、この人も(あの信長を二回も裏切ったりも)
昨年の夏以降は受験勉強も兼ねてその手の本しか読まなかったせいか、逸れやすくなっております…w( (
そろそろ話すことも尽きたのであとは淡々と進めて行きましょう
南大門は「大仏様」という建築方式で建てられております。
かの有名な金剛力士像 天部で産まれた、護法善神の金剛力士デース!
口を開けているのが「阿形」、口を閉じているのが「吽形」
運慶と快慶らによって造られました
とても力強く、その迫力は是非ともその目で見ていただきたいものです…
たくさんの鹿に囲まれながら向かう先は金堂(大仏殿)
この中に大仏がいます。
大仏さんにお会いするには拝観料が必要なので、この日は行っていません(
さよなら、またいつか
そこから金堂の周囲を軽く探索、少し離れた場所にも足を運びます
けっこうデカい鹿
法華堂(二月堂)
二度の戦火を免れた、奈良時代から続く貴重な建物
奈良時代から現存する大仏殿は結構貴重らしくて
拝観料がいるのでry
この時はとくに眼中にも無かった正面の灯篭ですが、これも重要文化財らしくて
その奥にあった二月堂
これも二度の戦火を避けましたが、1667年のお水取り*14で燃えてしまったようです。
こちらは拝観料もいらないので入れました(
奈良の景色を一望
晴れている日は夕日がきれいだそうで
のんびりと探索
帰りのことさえ考えなければ、気持ちのいいものです
飼われてはいないので、一応野生動物です。
のびのびと暮らしています。
さて、曇りで分かりにくいですが現時点で午後5時
そろそろ撤収せねばなりません
ということで最後に有名な正倉院をみて帰ります。
中々入り口が見つからず、苦戦しましたがやっと見つけました
よし、帰りましょう。
畜生めっ!!!(チョビ髭風)
鹿さんともお別れ
お尻しか映っていませんね(
鹿の飛び出し注意
街中で見かけるのがなんとも奈良らしい
奈良交通を交えて一枚
途中、正倉院を入り口を探すのに苦戦したせいで、時刻はすでに18時
今から帰ってもすでに暗いですね
なのでもう一つ寄っておきましょう…
徐々に暗くなる街、私の足が向かった先は…
お ま た せ
い つ も の
ア ニ メ イ ト
店舗面積は小さかったです
ことりちゃんの誕生日も近かったです
気合入っていますね…w
さて、外はもう真っ暗
さすがにここから自転車を停めたイトーヨーカドーまで歩くのはつらい
これ以上時間をかけると、今日中に帰れるのかさえ怪しくなる
なんだかんだで1駅分以上あったあの距離…
やるしかない、あれを…
片道210円、所要時間20分
駐輪場の料金を浮かすはずがまさかの本末転倒な結末に
おまけに結構時間もかかった
後から見てみれば近鉄の新大宮駅が近くにあったので、そっちに乗った方が遥かに得だった
220円に値する効果が得られたかは謎でしたが、無事自転車と再会です。
もう一度イトーヨーカドーで飲み物を購入し、さよならです。財布の小銭ともさよならです
さあ、平城京の大極院もライトアップされております。
ライトアップを純粋に楽しむ余裕はあまりない模様
でもちゃっかり撮っています。
暗闇をこいでいきます
街灯の明かりが反射しているのは、古墳の池
柵もないので、下手すりゃボチャンです。
ただただ家を目指して帰ります。
行きは楽しいですが、帰りはそこまで(
隣を行くJR線を眺めながら必死に帰ります。
暗闇の中を自転車でこぐときはよく歌います。
この時はチルノのパーフェクトryでしたかな…
さて、誰が
何系かはさっぱりでございます。
闇夜の生駒越え、この時点で20時40分
冗談抜きで命がけです。
押して歩いていたら轢かれそうで怖い…
11時間ぶりに大阪へ
ラストスパートです。
峠をえっちらおっちらと登っていきます…
ここはトンネルが通っているので、旧道の峠はガラガラです。
やっと峠を上りきる
よく頑張りました
さて、上りの次は何が来るか
下りですね
というわけで、iPodを自転車にロープでぐるぐる巻きに縛り付け、車載動画擬きを録ってみました
※音量注意 音量を下げた後、適度にノレる音量まで上げてお楽しみください
それがこちらの動画
結構前に、暇つぶしで作ったものです…w
暗いのでほとんど疾走感はでていません…w
まあ、それでも平均速度は40km/hほどでした
(Ⅳ号戦車よりも速い…!?)
流れる景色は一瞬で過ぎゆき、気分は風のよう
前方に見えるは大阪平野の夜景
汗も疲れも一瞬で吹き飛んでいきました
なんだかクセになりそうですが、やはり結構危険です…w
(昔はよく走り屋さんもいたとか)
帰ってきた故郷大阪
遠くにはあべのハルカスも見えますね ラブホが眩しいぜ
あとは道をずっと下り、しばらく走れば到着です。
奈良出発から3時間、なんとか帰ってこれました。
自転車で他県へという初の試みも無事に終了
手についたハンドルの跡は数日間消えませんでした…w
自転車で峠越えてみたいな…
という思い付きで始まり、なんだかんだで平城京まで
そこまでには鉄道旅だけでは味わえない景色が広がっていました。
総距離71.5kmの旅路はこれにて終了しました。
いつもの気まぐれで挑んだ無謀な試み
そこにはまだ知らない世界が広がっていた。
『次はどこに自転車を走らせようか』
そう地図を眺めながら思索した
というわけで今回はここまでとさせていただきます。
思った以上の脱線、
調べれば調べるほど、既存の知識と結びついて深くなっていきます…w
まあ、次回はそんなこともないと思います。
多分←ここ大事
間に総まとめ編が入り、驚くほどに長くなった奈良自転車旅もこれにて終了。
皆さま、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました
どうやら次も自転車でどこかに出るようで…
それでもって聖地巡礼らしくて
まあ、お楽しみに!
では、以上!