青春夏物語 紀伊編 ~路線に詰まった歴史と新緑の城郭~
どうも(お久しぶりですというべきか…)、体育祭が終わり、先日は自転車でぶらりと出かけてきた既望路です。
結構な日にちがたちました…w(
冗談抜きで一年遅れを迎えそうです…ww(((
最初に触れましたが、昨日は自転車でお隣の県へと行って参りました。
きっと半年後ぐらいの記事で紹介するでしょう…w(((
ええ、はい。
頑張ります。
どうも最近、文章が思いつかないです…w
と言っても時間はただただ過ぎていきます…
ということでいつも以上に淡々とした文章になるかもしれません…orz
まあ、そういうことで昨年の夏の和歌山遠征、どうぞ!
数分後…
終点の和歌山市に到着です。
駅名票が完全に南海電鉄ですが、一応JRの駅です…w
といっても南海のホームにさり気なくJRの路線が混じっているようなそんな駅です…w
ということで昨年(2013年)の紀勢本線遠征と合わせると…
「384.2kmに及ぶ紀勢本線全線制覇」
ということになります!
一年越しの全線制覇になります
JR東海区間とJR西区間を走りぬけ、ついにゴールした紀勢本線制覇
それを祝福するかのように流れるのは南海式の構内放送…
南海式の改札の横をくぐり抜けて、南海の制服に身を包んだ駅員さんにJRの青春18切符を見せ、駅を抜けます…
この和歌山市駅はJRと南海の共同使用駅ですが、管轄は南海です。
もともと南海が開業した駅で、その後に紀和鉄道(現JR西)が乗り入れてきました。
そのため、和歌山市駅から分界点までの区間(1.0km程)も南海の所有でした。
(紀和鉄道(国鉄)が南海線に乗り入れしているという感じですかね?)
この国鉄が使用しているこの南海区間を「南海国社連絡線」と呼んだらしいです。
そして国鉄分割民営化の際に、この「南海国社連絡線」はJR西に貸与した形になりました。
(南海の路線をJRが走っていますが、南海が第三鉄道事業者というわけではないです)
といっても管轄は南海なのでこんなにも南海臭漂う駅になっています…w
今では影の薄い路線ですが、かつては東京行きの夜行寝台急行も発着する路線でした…
(ホテルですって?違います!)
なぜ串本、新宮へ向かう紀勢本線の駅が東京へ?
ということでこのあたりの歴史を振り返ってみます…
(といっても自分も初めて知ったことばかりです…w)
まずは現在の和歌山北部と阪奈圏を御覧ください
グレーの路線が今回の主役、「紀勢本線和歌山~和歌山市間(通称:紀和線)」です
次に国鉄時代(昭和34年)の路線図を御覧ください
※面d…分かりやすいように、路線カラーはそのまま使用しています
JR東西線やおおさか東線、環状線の一部が無かったりしますが、東和歌山駅(現:和歌山駅)の北をまずは見てください…
なんと、紀和線が和歌山線の一部でした…
(資料ではなぜか東和歌山~和歌山市が記載されておらず…)
そして急行「大和」が東京から(東海道・関西本線経由で)王寺駅へ
王寺からは切り離しを行い、湊川行きと和歌山行きになりそれぞれの終点駅へと向かいました。
途中から、東京-名古屋間は金沢行きの急行能登を繋いでいたらしいです…w
今では一時間に1,2本しか通らない路線ですが、昔は賑わっていたことでしょう…
これだけ見ると和歌山市駅は閑散とした駅と思えますが、JRの代わりに南海がバンバンやってくるので割りと賑わっています。
といった感じです
(かつては紀和駅(元和歌山駅)が構内に機関区をも置く主要駅だったとか…)
そしてその後の和歌山線、そして周辺の路線の歴史をたどってみましょう…
(当時の路線図などがあれば便利なのですが、そんなもの無いのでWikipediaの記述をまとめてみることに。よって、間違いなどがあるかもしれません…orz)
その後とか言っておきながら、その前です(
この頃の和歌山駅は駅構内に和歌山機関庫を持つ大きな駅でした。
スッキリとしていますね…
(まだ日露戦争も起こっていない頃です…w)
南海和歌山市が完成し、紀和鉄道も和歌山市まで乗り入れてきました。
※和歌山北口→紀ノ川に改称
これにより、主要駅の座は和歌山駅(現紀和駅)から和歌山市へ…
加太軽便鉄道の発足、そして紀勢本線の全身である紀勢西線が開通しました。
主要駅の座を奪われた和歌山駅も連絡駅として名誉挽回です。
(東和歌山駅は当時、ただの中間駅でした)
しばらくして、今の阪和線である阪和電気鉄道が東和歌山まで南下してきました。
大阪へ向かう路線が和歌山へ入ってくれば、乗客は当然そちらに流れていくわけで…
そして阪和線の国有化と田井ノ瀬~東和歌山の貨物線発足です。
阪和線と和歌山線のジャンクション駅として紀伊中ノ島駅の設置。
そして大阪と新宮(紀伊半島の南の方)が結ばれたことにより、優等列車がバンバン通るようになりました。
(和歌山駅は蚊帳の外です。)
一方、西の方でも南海電鉄が着々と勢力を強めています…
(台風で橋梁が流され、北島~和歌山市が不通に)
東和歌山→和歌山
和歌山→紀和
と駅名が変更されました。
そして、田井ノ瀬~和歌山の旅客営業が始まり、田井ノ瀬~紀和は廃止…。
これにより、田井ノ瀬、紀伊中ノ島、紀和はただの中間駅になりました…
(そして北野支線が撤廃)
そして現在の路線図です。
なんだかスッキリした感じです。
(中間駅を省いたからでしょう)
路線一つの歴史でもこんなにもあるんですね…
中々勉強になりますね…
(そして失われていった勉強時間…((黙 )
さてさて…
安定の話題脱線です(
列車は10分ぐらいしか走っていないのに、記事の編集時間はそろそろ4時間が経とうとしています…w
まあ、それでも本来の予定まではしっかりと書こうと思います。
ただ、時間のこともあるので(只今PM11時)ちゃっちゃと行きます。
駅前にはたくさんの和歌山バス?がいました。
和歌山城は何度か改修が行われており、時代によって異なる石垣が見られるのが特徴です。
この石垣は緑泥片岩という近世城郭では和歌山城と徳島城にしか用いられていない、珍しい岩で作られているらしいです。
ちなみに、「野面積み」という岩を加工せずにそのまま積み上げた方法です。
出っ張ったりしていて、敵に登られやすかったらしいです…w
緑の中に佇む石垣は中々いいです…
せっかくなので、西の丸庭園に寄ってみます。
開門直後だったので、一番乗りですw
通称「紅葉渓庭園」ということで、綺麗なモミジがたくさん見られます。
紀州藩初代藩主徳川頼宣によって築かれ、秋には美しい紅葉を見せます。
夏の青々とした景色が水面にも写り込んでいます。
どこを見ても緑がいっぱいです。
美しい緑の世界の中で、セクシーポーズを決める友人を撮影していました((
秋が一番のおすすめらしいですが、夏も中々良いものです
一つ一つ踏みしめていきます…
アカミミガメですかね?
日本庭園で泳ぐ外来種のアカミミガメ… これぞ和洋折衷…w((
御橋廊下が見えます。
藩主の住んでいる二の丸とここ(西の丸)を結ぶ廊下です。
藩主が移動しているのを気付かれないよう、壁付けになっています。
当時は藩主とそのお付の人しか通れなかったみたいです。
藩主(もしくはお付の人)になった気分で通ってみます…w
ちなみに傾斜のある御橋廊下は全国的にも珍しいとか…
いよいよ本丸の方へ…
天守曲輪の周りをぐるっと回ることも出来ます。
築城の名人、藤堂高虎によって建てられました。
天守は一度空襲で焼けており、現在見れるのはその後に再建されたものです。
複数の天守と櫓を渡櫓で結んだ連立式天守で、日本三大連立平山城の一つにも挙げられています。
(残る二つは姫路城と松山城)
和歌山城を眺めながら、和歌山名物の「グリーンソフト」を頂きます。
昭和33年に和歌山のお茶屋さんである玉林園さんによって開発されたもので、世界初の抹茶ソフトクリームと言われています…
外のサクサクコーンの中にはふんわりとした抹茶アイスが…
口の中に入れるとふんわり、そしてすぐに口の中で溶けてしまう…
そんな雪のように儚くも美しい(味)…
和歌山へ来た時にはこれですね!!
和歌山駅ビルでも売っているらしいので、和歌山にいらっしゃときはぜひどうぞ!
刺田比古神社
大友氏の氏神である道臣命と、大伴佐氐比古命が祭られています。
一時期は南北朝の争乱で荒廃するも、豊臣秀吉が和歌山城を築く際に鎮護の神と重要視し、徳川頼宜は和歌山城鎮護の神として神社を再興しました。
まあ、この和歌山城を守っている神社ですね
再びやってきた和歌山市駅
ご覧のとおり、立派なターミナル駅です。
(急いでいたので傾いています…w)
ちなみに南海難波駅もこんな感じのレンガ作りです。
そうして再び南海の駅員さんに青春18切符を提示し、紀和線ホームへ…
運よく臨時の増発列車がいました。
向かうは元東和歌山駅…
次の駅で出会いと別れが待っています…
そして和歌山駅到着直前、あることに気付く…
さて、次回は脱線せずに終われるのでしょうか…?
と、今回はこの辺りで終了とさせていただきます。
日が落ちるどころか、日付まで変わってしまいました…w
きっと読むほうも大変でしょう…w((
今回は自分なりに頑張ってまとめてみましたが、恐らく間違っていたりもするかもしれません…orz
まあ、そのときは見なかったことにしておいてくださいw((
というわけで、そろそろ閉めさせていただきます。
明日から 懇談週間で学校が早く終わるので、その間に一回ぐらい更新させておきたいなと思っています。
では、以上!